妄想爺のとんでも史観 (27) 徒弟制度
妄想爺のとんでも史観 (27)
徒弟制度
つい最近まであった徒弟制度。今でもあるのでしょうか?
親方の家に弟子入りし、生活を共にしながら、技術を学び習得し、いずれ独立して、今度は弟子を取る。
家内制手工業、建築関係や芸能、昔なら商家に多かった気がします。
非常に良い制度だったと思うのですが、近年は否定されているようです。
個人としての自由が無い。労働力の搾取、奴隷と同じだ。職業選択の自由が無い。税金の誤魔化しが目的だ。
そんな声が聞こえます。正解なんでしょう、きっと。
技術を持ち比較的収入の見込みのある”親方、師匠”の元へ、”弟子、丁稚”が同居し、仕事を習う。と言う形は、いつ出来たんでしょう。
おそらく、多分ですが、人が人として暮らし始めた時からあったと思います。
この国の最初の人が、原人だったのかネアンデルタール人、クロマニヨン人だったのかは分かりませんが、自分にない能力を持つ他人は尊敬の対象です。
自分も同じようになりたい。と思いお近づきになり、コミニケーションを取り、頼んで、身の回りの世話をして、見て習った。
自然な流れだと思います。
衣食住の内、衣類を除くものを支給して貰えます。衣類もある程度は支給して貰えていたと思います。
現代の様に遊興費や娯楽費が殆ど掛からない昔なら、お小遣い程度プラスアルファでお金も溜まったかもしれません。
通信費はかかりませんし。携帯電話がありませんから。
農家の子供は、口減らしのために商家や寺に奉公に出されたと、漠然としたイメージがあります。
もちろんそういう例もあったと思いますが、殆どは世の中の仕組みがそうだったのだと思います。
読み書きそろばん。寺子屋か寺院、教養のある地元の有志のボランティアや裕福な家に衣食住を賄って貰い、読み書きそろばんを習う。所作や礼儀等はそれなりの処でしか学べません。
数年したら実家へ戻る子もいたでしょう。農家なら農業を引き継ぎ、奉公先で習った新品種の栽培にも挑戦したと思います。
奉公先でスキルが身に付き、仕事になると思えれば独立したと思います。
前にもどこかで書いた、仕事に大切な三要素。知識と資格とスキルが暮らしながら身に付きました。
親方から許可や容認が出れば、それが資格です。のれん分けですかね。
識字率が江戸時代で約70%と聞きました。デマだという人もいます。
読み書きが出来るのが基準だそうですが、庶民が書くのはひらがなが主でしょう。読むものに漢字が含まれているので、漢字も読めるようになっていたと思います。
武士や僧侶などは、独特の文体で手紙を書きます。話し言葉も相手によって使い分けていたようです。
御触れや新しい決まりを周知させる為、高札(立て札)で知らせていました。
知りたい。何と書いてあるか分かりたい。皆に知らせたい。探求心や人の為にと言う心で、読み書きは上達したでしょう。
社会の中で暮していく為に、騙されない為に、生き残る為に読み書きそろばんは必須だったのだと思います。
それが出来なければ、本当に頼れる人へ頼り人生を預けたのだと思います。
人が100人とか1000人いたら、危ない人やおかしい人は一定数、出てきます。
このままでは人様に迷惑が掛かる。と考えた親は、ある組織へ預けたのでは無いでしょうか?
厳しい修行と教養を身につける為の、お寺。手に職をつける為の、職人の親方。公的な治安維持の届かない地域を維持する維持組織、組や一家。
考え方や性格を治す為には、鉄拳制裁も辞さない。それでも治りそうになければ、、、病死、事故死。
預ける方も預かる方も、相当の覚悟で臨んでいたと思います。
近年それが、崩壊しました。
預かる方が、規制や社会情勢で離脱しました。
組や一家と呼ばれた組織は、人が入れ替わったみたいです。「軒下を貸して母屋を取られる。」みたいです。
この国で暮してきた、生きてきた人達が数百年、数千年の間に試行錯誤して作り上げた仕組みが、いとも簡単に無くなりました。
全ての人には自由があります。それは昔も今も同じです。
知識やスキルを学ぶ場所が限られていた頃と違い、今は手を伸ばせば届く所にあります。
資金さえあれば、すべて手に入ります。今、その資金が無い人が冷遇されています。
その資金を自分以外が出せばいいじゃないかと、お金持ちの人たちは叫びます。一律に集金するシステムを推進し、後ろを向いて”そんなシステムは反対”を叫んでいます。
昔は資金が無くとも、受け入れて貰えていました。
それが徒弟制度だったのだと思うんです。
世話になる師匠や親方を本当の親と思い、預かった人を実の子供として接する。そういう関係を目指し、築いていたと思います。
そうじゃない部分ももちろんあったでしょう。否定しません。
虐げられている。可哀そうだ。自由がない。
高い場所から、涙を流しながら、「昔の制度が、、、」、「世の中がすべてが、、、」、それらが悪いと叫ぶ人が、有識者で文化人。
史観じゃなく、私感 になってしまいました。
ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。
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