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妄想爺のとんでも史観 (30) 蘇我氏と物部氏

妄想爺のとんでも史観 (30)

 蘇我氏と物部氏

 崇仏論争。この国に仏教を取り入れるか、国神を祀る神道を守るか。みたいな論争というか、、、、
 蘇我氏と物部氏の権力闘争、、、蘇我馬子と物部守屋の主導権争い、、、国を纏める教えは、、、、疫病退散、混乱収拾、後継者問題と色々な事象に絡めて、語られています。(物語として、、、)
 本当のところはどうだったんでしょうか?
 これで物部一族は滅んだ。と書かれている物もあります。
 この論争の中、聖徳太子がデビューしています。
 大阪四天王寺、飛鳥の若草伽藍と建築や文化も仏教色に染まっていった。とも書かれています。
 百済の聖明王から公式にこの国へもたらされた。そうです。

 ちゃいまんな。
 既に仏教は渡ってきていました。
 多分、紀元前に。
 大陸から人が遷ると同時に、他の宗教も渡ってきています。
 なんせ、八百万の神の国ですから。
 目立ちませんよ。

 これって、多分なんですけど、物部氏を中心に広めていた農事暦の周知や交易、情報交換、税の徴収とかに、使用していた前方後円墳や神社に代わり、寺にしてみたら?神官の代わりに、僧侶がしてみたら?
 って事だったのかなと思うのです。
 連絡係や出納係だけじゃ、その地の住民に頼りなく思われたりします。
 揉め事や訴訟事、取り締まり、仲裁役、ありとあらゆる要求が来ると思うのです。
 力だけでは抑えられません。
 そこで必要になるのは、、、「知識」です。解決事例と応用です。
 学習の場と、話術の練習、耳目を集めるパフォーマンスを駆使できる人材の育成。
 より多くの人が納得する能力と言えば、知識と資格とスキル(能力)です。
 それらを習得するのが寺だったと思います。
 寺で修行し、各地へ赴き前任者との引継ぎを行い、在地の有力者と力を合わせ、統率していく。
 現代で言う、役場と警察の機能を持つのです。希魂(くしみたま)と荒魂(あらみたま)を保持し、幸魂(さちみたま)を流通させ、和魂(にぎみたま)を管理する。

 改革側(蘇我氏)と守旧側(物部氏の一部)。しかも派遣されていた管理者(神官?)と在地の有力者は既得権益を守ろうと必死だったでしょうね。
 インパクトのある出来事が流れを変えてくれます。
 物部氏の一部、物部守屋に失脚してもらう事です。物部氏全体に影響が出ない様に詰腹を切る役目が必要なのです。
 トカゲのしっぽ切りと揶揄されますが、組織や全体の維持には必要だと思います。万民が納得する結末は、この世にはありません。迷う事もしなくて済む別世界へ行かなければなりません。

 何年も何十年も掛けて改革事業を進めていったと思います。
 蘇我氏と物部氏の共同事業です。各地に寺や役場(別名 屯倉 みやけ)を整備していきました。
 『屯倉は、ヤマト王権の支配制度の一つ。全国に設置した直轄地を表す語でもあり、のちの地方行政組織の先駆けとも考えられる。』 BY Wikipedia
その代わり、前方後円墳は作られなくなっていきます。
 その標として、蘇我氏による 大王おおきみ 、物部氏による王妃。後の皇室へと繋がります。いえ、繋がるはずでした。しかし入れ替わってしまいました。
 後に貴族と言われた一族にです。大妃には、蘇我氏や物部氏から出てはいましたが、財力を奪う為の方策だったようです。

 その貴族については、いずれまた。

ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。

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