妄想爺のとんでも史観 (5) 八百万の神々 と 鬼達
八百万の神々 と 鬼達
この国ではありとあらゆるものに『神』が宿ると言われています。
その神々は恵みを│齎《もたら》し、時として天候なら災害、人なら害悪を齎します。
なので、常日頃から感謝の意を示し、災難を受入れながら防いで、逃げて、宥め透かし、共存してきました。
太陽が照らし、雨が潤し、風が種を運び、大地が育む。
人が人を励まし、助け、慰め、褒め称え、厳しく鍛え、共に泣く。
それらが 一度 荒れ狂えば、すべてを呑み込む様は、まるで ” 鬼 ”。
(一部の通説では、鬼や祟りの概念は室町時代に中国から入って来て、それまでは何も無かった。と言われている様です。
単なる言葉だけの問題?、鬼も ”神”と呼ばれていただけ?、、、場所ばしょで色んな名前を言ってただけ?)
神と鬼は表裏一体。同体異名。
人でもいますよね。外面は非常に良くて家庭内では暴力的な人。強いものには平身低頭で、弱い立場へは 傲岸不遜 な人。
分かり易い例として、パートナーに例えるとどうでしょう。
普段は明るくて、気が利いて、褒めると喜んでくれて、、、神々しく見えて、、、
でもひとたび怒らせると、手が付けられなくなり、、、、鬼のようになる。
大体の場合、鬼に変わるのは、、、、裏切った時。 でしょうか。
個人的な事を言えば、若い頃の風俗の方々は、女神でした。
自信が無く、コンプレックスをたくさん抱えてオドオド、イライラしてた自分に優しく手ほどきをしてくれて、、、
ボッタくられた時は鬼に見えました。授業料だと思って我慢しました。
例えが悪かったですね。すみません。
太古の昔、この国と隣の半島にある所とは、大木を刳り抜いた”刳り船”で交易をしていました。
島々を伝いながら、一日中船を漕ぐ屈強な若者男性。
島に着けば、飲み水や食べるものの提供を受け、酒を飲み女の人が傍に侍る。
命がけの航海が報われる時です。
朝、出航しようとすると 一番偉い巫女が「今日は出てはならぬ。嵐が来る。」とご神託があればそれに従います。
「今日は大丈夫。」とのご神託であれば、「必ず帰ってくるぞ。その時はまた相手を頼む。」と言い残し、出航します
身体の調子が悪くなれば、具合の悪さにあわせて食物を選んで食べさせて貰えます。(食物と薬草の知識が有ったのでしょうね)
その女神たちは、肌や自分の体の調子と経験則から、天候を予測したのだと思います。
食物やお酒を食べさせる時、、これを食べさせればこれが元気になる。とかこれを飲ませれば楽になる。とか男をよく観察し顔色を見ていたのではないでしょうか。
ほんの僅かな変化も気付くのは、女性だと言います。
正に、命を預ける神、女神だと思います。
怒らせたり、裏切ったりすれば、、、海の藻屑、、、って言うか、二度とその島には行けなかったでしょうな。
ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。