雑感 145 一秒でも遅らせ、一歩でも遠くへ。
雑感 145 一秒でも遅らせ、一歩でも遠くへ。
暑い夏がまた来てます。
体温より高い気温の中、熱中症にお気をつけください。
高齢になればなるほど、暑さ寒さに気が付かないのだそうです。
私が住んでいる所は、世界初の新型爆弾が炸裂した都市と同じ県にあります。
先の戦争時、今住んでいる都市には空襲なる攻撃はありませんでした。
主要な軍需産業が無かったのか、単なる田舎町と認識していたのかは分かりません。
その先の戦争の呼び名は「大東亜〇争」か「太平洋〇争」かで、一部の人が騒ぎます。毎年のようにです。
【お仕事ご苦労様。】としか、私は思いません。
住民への無差別攻撃を禁止した条約が既に発効されていたにも拘らず、この国の各都市への空襲は一向に収まりませんでした。
空襲の後には、上陸から地上戦による侵攻に移る作戦も考えられます。
上陸の為には兵士を乗せた船が近海に待機しているはずです。
その兵士を乗せた船を攻撃し、身動きが取れなくさせれば、上陸は遅らせることが出来ます。
敵対する国の兵士上陸が遅れれば、その間にこの国の人達は、より遠くへ逃げる事も出来ます。
自分の家族、妻や子供、友人知人、住んで育った所の住民、会った事も無い知らない人達をも、少しでも遠くへ逃げおうせるようにと、この国の兵士は戦ってくれました。
『特攻隊』と呼ばれた飛行機乗りが有名です。一人乗り魚雷もありました。
その飛行機乗りの方々は、飛び立つ時や攻撃対象へ突撃する時に、
『天皇陛下、万歳!』と叫んで突っ込んでいった。と語られています。
数百名、数千名の方が『特攻隊』として戦っていたのですから、その中の一定数はそう叫んだとは思います。みんながみんなとは思いません。
お母さんや奥さん、子供さんの名前だったり、一夜を共にしてくれた女の人の名前だったかもしれません。
それぞれが、思い思いに、その時の胸に去来した人の名を叫んだのではないでしょうか。
叫ばなかった人も多くいた事でしょう。叫ぶ相手が居なかった、、、と言う方も居たかもしれません。
内地に残る人達が、一秒でも長く生き永らえ、少しでも遠くへ逃げられる様にと兵士は突き進んで行きました。
家族や知人友人に限らず、知らない誰かの明日を生きて欲しいが故に、自分の命を捧げた兵士の事を悪く言う人に対しては、
「お仕事ご苦労様。」と、言って差し上げます。
仕事ではなく、収入にも繋がらない身で、そういう事を言う人であるならば、それはそれで仕方ありません。
そんな人も含めた皆が一秒でも長く生き永らえ、少しでも遠くへ逃げられる様にと、やっぱり兵士は戦うのだと思います。
この国に住むありとあらゆる人達、家族でも顔見知りで無くても、生まれ育った所が違えど、肌も目も髪の色も様々な人達を、すべて含めて守ろうとする方がこの国にはいらっしゃいます。
「天皇陛下」です。
「四方拝」と言われる儀式を行ってらっしゃいます。年災消滅、五穀豊穣を祈る宮中祭祀と言われています。(by wikipedia)
その儀式には大切な目的があります。
賊寇之中過度我身(ぞくこうしちゅうかどがしん)
毒魔之中過度我身(どくましちゅうかどがしん)
毒氣之中過度我身(どくけしちゅうかどがしん)
危厄之中過度我身(きやくしちゅうかどがしん)
五急六害之中過度我身(ごきゅうろくがいしちゅうかどがしん)
五兵六舌之中過度我身(ごへいろくぜつうしちゅうかどがしん)
厭魅之中過度我身(えんみしちゅうかどがしん)
萬病除癒、所欲随心、急急如律令(まんびょうじょゆ、しょよくずいしん、きゅうきゅうにょりつりょう)
by 江家次第(こうけしだい) --平安時代の宮中の儀式が書かれたもの--
『 この世で起こる様々な困難は我が身を通して下さい。全て私が引き受けるので、国民をお守り下さい。 』の意。
特攻隊として飛び立った方たちが、思いを寄せる人がいるいないに関わらず、すべての国民に対して、少しでも時間を稼ぐ。
その後は、天皇陛下が全ての人に降り注ぐ困難、災悪を引き受けてくださる。
故に、、、『天皇陛下、万歳。』 ≒ 【 陛下、後はお願いします。】
高齢者になったせいなのか、自分の人生を肯定したいのか、この国の行く末が心配ではあるし、娘の将来を作ってやれないのが心残りで、、、
この国のほんの70数年前の事を、「間違ってはいなかった。」としておきたいのです。
あやまち と言う言葉で済ましたくは無いのです。
単なる老害です。
暑い日が続きます。
また、あの日がやって来ます。
涼しくお過ごしください。
ではまた、ごきげんよう。
やまとやじろべえ でした。
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