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【考察】なぜAV女優になりたい女性が近年これほどまでに増えたのか?

※読まれる方にとっては地獄のようなことを書き連ねた描写が複数ございます。PTSD等トラウマがフラッシュバックする恐れもあるため、ご留意いただきますようお願いいたします。

なぜAV女優になりたい女性が近年これほどまでに増えたのか?AV新法の影響で撮影が困難になって、なぜファンティアや同人AVに移るのか?これまでもこれからもAV撮影は体力をつかう仕事だから女優への報酬があってこそ実現するのだが、報酬とは別の動機も考えられるのではないだろうか?
ぼくの想像だが、AVに応募する原因はおそらくは主体の追求だ。いまの社会は個人を適切に評価しているとはいえないからだ。一般産業の会社では賃金を与えることで生産物や成果から疎外しているから、会社でどんなに頑張っても残せるものは精々職務経歴書くらいであり、功績として一生涯残すことは不可能。対して、芸能人や著名人はWikipediaにも載る。だが、Wikipediaに載る人を羨ましがるとか、そういう次元で物事を考えるのではこの話は進まない。

地獄からの脱出口としてAV出演

河合幹雄教授が「地獄からの脱出口としてAV出演があり」と仰っていたように、AV女優になる人は女性・ニューハーフ男の娘を問わず、生命の危険に晒されるほどの過酷な体験をしている人が多いのは事実だ。そうでなければAVに自ら価値を見い出したりはしないだろう。挿入それ自体はとっても痛いし、お金のためだけに割り切れるものでは到底ない。

「AV出演強要」は存在するのか? 多くの人が見落としている「本当の実態」  河合 幹雄 
現代ビジネス「AV出演強要」は存在するのか? 多くの人が見落としている「本当の実態」河合 幹雄 より引用

ぼくも小学生のころからそんな体験を何度もしてきたからAV女優になることに価値を見い出し、社会人としての真面目な人生に踏ん切りをつけられた。最後は派遣会社で新人社員と組んで作業をしていたところ、高所作業を急かされるパワハラを受け、二人分の作業を一人でこなそうと急いでいたら足を踏み外して労災事故となった。

派遣先での高所作業中に足を踏み外して転落し、顎を4針縫った。あまりの痛さで歯を噛み締めたため奥歯も破断。

それで踏ん切りがついた。
働くだけの人生から、人生そのものへ向き合おうと思ってAV女優になろうと。


🏭労災事故後一週間が過ぎ、破れかけたボロボロの作業着のままコンビニへ立ち寄って成人向け雑誌コーナーを通ったとき『なぜこの人たちはこんなにも輝いてみえるのだろう・・』と思った。

コンビニの成人向けコーナー

それのおかげで僕は変われた。
AVで「生きた証を残すため」の手段としてAV女優になる人だっている。それだけ切実な問題だから、人権団体やAV新法が業界を無闇に変革してよいものではない。
なぜなら、彼女らが生きるための最後の希望である主体性(主体化の手段)を奪ってしまいかねないからだ。幸せは人によって異なるように、尊厳は人によって違う。

だがいまや『尊厳』は、かつて意味していた尊厳を否定するおびただしいプロパガンダにより法律用語の一部と化し、尊くおごそかで侵しがたいものとは真逆の過保護となり、それがあたかも尊いもののように信じられている。尊厳が組織や法律で定義されてしまうと、定義された尊厳を守るために尊厳を侵す功罪が生じる。

主体化(役割と存在意義)について

次に、冒頭で述べた「なぜファンティアや同人AVに移るのか?」活動をやめない理由について説明したい。これは芸能人や著名人・活動家なら誰しも当てはまることで、お金を稼ぐ以外に発信者として認められたい自己実現欲求に基づく行動だ。メディアを自己の一部として認識し、主体化しているために自らの意志に基づいた行動だ。

「主体化」とは、たとえばAV出演被害防止で話題になっている顔出し支援者がAV女優からの批判を浴びないようにと過度に配慮され、顔と名前と功績すべてを世界中のあらゆる媒体から消されたとしたら『自分は何のために生きてきたのだろう涙(ノ∀`)』と、生きる意味を見失なってしまうはずだ。そういう性質をもっているのが主体であり、主体化とは簡単にいうならば自己実現した状態のこと。

だから、人権団体の人たちにも保護をするためだけじゃなくて『とってもデリケートな問題なんだ』ということは理解していただきたい。作品を残すためにAV女優になったのに、AV新法の影響で辞退せざるをえなくなるのは悲しすぎるし、既存の福祉の理念では実存的空虚感(存在意義を奪われ、生きる意味を見失なってしまった喪失感)を埋めることなどできない。
福祉という言葉は幸せや豊かさを意味する言葉であり、すべての市民に最低限の幸福と社会的援助を提供するという理念を表す。これは一見よいことにみえるが、捉え方次第では主体的な職業(AV女優やコスプレイヤーといった芸能)から客体的な振り出しの職業(無塵服で全身を覆って作業する工場)へと引き戻されてしまう恐怖を感じる。また、「最低限の幸福と社会的援助を提供するという福祉の理念」では、たとえば修学旅行(みんなで楽しみながら体験する主体的な価値)をパラ観戦(試合を客として観戦するだけの客体的な価値)に代替えしようとしたような主体と客体の価値の摺り替えが悪意なく起こりえる。主体と客体の価値の摺り替えは資本主義を前提とした社会では悪意なく起こりえる。裁判所で訴えて勝とうが、世の中のほとんどの問題は金や物といった価値に代替え可能と判断されるからだ。しかし、代替え不能な価値もあることを理解しなければ「怪我を負わせても金を払えばいい」といった非人間的で危険な思考に陥る。

「AVのお仕事減って困っている方は、福祉に繋がることができます(郡司真子)」という発言を読んだとき、まず思ったことは、AVという作品を残せる主体的な価値を、他人の幸福のため尽くす価値へと摺り替えられてしまうのではないかという恐怖だった。
なぜそう思うのかといえば、その根底には日本社会が疎かにしてきた疎外が関係する。人間疎外は製造業のような産業に限らず、日常的に常に起きている。
たとえば、せっかくボランティアをしたのに慈善団体名しか載らなかったり、生活費を恵んだり寄付したのに売名行為と言われたり、駅の階段でおばあちゃんが転げ落ちそうになったから自分の荷物を投げ出して助けたのに誰も褒めなければ誰も散らばった荷物を拾わずに素通りされたり(助けたのぼくだけどw)、会社員だっていくら必死になって頑張っても一定時給が支払われるだけで讃えられず疎外される。そんなことを数えきれないほど経験したら、何のために生きているのか?という人生の疑問にたどり着いて、主体的な職業としてAV女優という選択をするだろう。

平和ボケした人権団体に言いたい
世の中は「承認の供給不足」だ!

そんなに性産業をなくしたければ批判するよりも、社会全体が抱えている“疎外問題”を解決すべきで、これを解決できなければ、AVは元より承認を獲得可能な性産業がなくなるわけがない。金尻カズナさんはPAPS理事長として社会的承認を獲得していますよね?我々のようにAV女優になる人たちだって承認を獲得したいからAV女優をしているのに言っていることが矛盾している💢

↑『お金のために人間性を犠牲にして働く物象化⁽¹⁾』の原理は、性産業に限らず一般職も含めた殆どの産業でありえるけど、ぱっぷす理事長やAV女優は承認を獲得可能。なぜなら活動家になるということは、同時に主体化され認められれば承認を獲得可能だからだ。
性産業では物象化⁽¹⁾を『性的対象化』と称されるけど、対象化される機会を逆手にとれば逆に主体化が可能になるからAV女優やフードルは増え続ける一方で減らない。
ここまで長々と書いたけど、金尻カズナさんのような代表者は、すでに社会的承認を獲得していてWikipediaにも載っていて、人気になることに苦労したことがなさそうだから、我々のようなAV女優の価値観や個々の尊厳性が理解できるとは到底思えない。けれど、もしも保護する目的で主体ごと奪ったら次のようになるだろう。
もう一度引用する。

「主体化」とは、たとえばAV出演被害防止で話題になっている顔出し支援者がAV女優からの批判を浴びないようにと過度に配慮され、顔と名前と功績すべてを世界中のあらゆる媒体から消されたとしたら『自分は何のために生きてきたのだろう涙(ノ∀`)』と、生きる意味を見失なってしまうはずだ。そういう性質をもっているのが主体であり、主体化とは簡単にいうならば自己実現した状態のこと。

つまり、AVは搾取だからといって強制的にAV女優を保護しようものなら、保護と引き換えにAV女優としての自己実現したアイデンティティを奪ってしまいかねない。

『お金のために人間性を犠牲にして働く物象化』の原理は「物をつくる」「AVを撮る」といったように、一般職と性産業の両方に当てはまる。PAPS理事長『セックスワークはワークではない、搾取』というのなら、個人の主体を機械のように搾取している一般職(とくに無塵服で全身を覆って作業しなければならない製造業)の疎外問題から解決しなければ承認を獲得可能な性産業がなくなるわけがない!!

まぁ、PAPS理事長『セックスワークはワークではない、搾取』というのは、☂️SWASH☂️の掲げるスローガン『セックスワークスイズワーク』に対しての愚弄だと考えられるが、搾取という言葉を軽々しく使う時点でAV女優のことをそれほど深くは考えていない証拠ではないだろうか。もちろん性風俗については「一概に搾取でない」とは言い難い面があるため否定はしない。AVという作品を残せる機会として捉え、自ら応募する女優がいる以上は、搾取と決めつけること自体が逆に「支援にみせかけ支配しようとする搾取」だと言われてもしかたないだろう。


ここまでの話をまとめると
●報酬とは別に、社会の「承認の供給不足」によってAV女優が増える。
●AVに出演する動機は切実なもので、地獄からの脱出口としてAVに価値を見い出す。
●だが、人権団体らは価値観を理解できない。
●疎外問題を解決(何かで代替え)しなければ、性産業をなくすことなど不可能。


社会全体の「承認の供給不足」によってデジタルタトゥーに価値を見い出す若者たちの背景

世間一般にAV女優という職業は危ぶまれるけれど、大衆社会における「承認の供給不足」を解決する鍵になるとぼくは信じている。

いまの社会は会社で必死に頑張っても求人広告の見出しには従業員でないモデルが新品の作業着で起用され、残せるのは職務経歴書の経歴だけ。こんな時代だから作品として残せるデジタルタトゥーの逆説的な価値に魅いられた。
先でも述べたが、派遣会社ウイルテックでパワハラを受け作業中に転落する労災事故に遭って会社で死んでしまうくらいならAV女優として生きた証を残せたほうがよほど幸せだと思った。

ぶっちゃけAVのギャラ(報酬)とかどうでもよくて『金を払ってでもAV作品を残したい(めちゃくちゃだけど)』と思えるほどにAVは地獄からの脱出口だった。これまで派遣会社で真面目に働いてきたつもりだけど、流れ作業で物を組み立てているだけで、人生になにも残せていないことに気づかされた。いくらモノづくりが好だとしても、モノをつくるためだけの道具や機械になることなど誰も望まないだろう。死ぬほど頑張っていても求人には起用されず、社外のモデルを起用され、派遣会社ではあからさまな人間疎外を思い知らされた。
労働とは「非個人的な興味の関係」によって仕事として成立するものであると同時に「仕事を通した社会的承認によって自己のアイデンティティを支えるもの(=存在意義)」になりえるものだといえる。だがいまの大衆社会では、どんなに高学歴でも派遣会社に従事せざるをえない人たちが一定数社会に溢れる。それで起きる「承認の供給不足」をカバーできるのが副業としてのAV女優であったり、趣味のコスプレイヤーであったりだと思う。会社で社会的承認を得ることができるのは会社役員など限られた人間である事実は認めざるをえないわけで、従事する以上そこは否定のしようがない。そこに一人の人間として、どう向き合い、どう折り合いをつけ、自発的な創造価値を謳歌し、人生を有意義なものにするかは個人の表現の自由だから、そこは妨げないでいただきたい。AVに出演したい女優の自由意志を妨げ、それで撮影会などの補填も何もしない人権団体なら、むしろ人権団体こそが人権侵害の元凶そのものであり尊厳の否定だとハッキリといえるぞ!!

良いデジタルタトゥーと悪いデジタルタトゥー

続いて、冒頭のタイトルにしたデジタルタトゥーについて解説したい。
「AVのデジタルタトゥー」は「犯罪や事故死でニュース記事に載るデジタルタトゥー」とは大別しておく必要がある。そうでなければ、一時的な承認欲求を満たすための炎上バカッターやバイトテロのデジタルタトゥーと大差がなくなってしまうからだ。良い意味で目立つのと悪い意味で目立つのとでは結果が全く違う。
だが、ほとんどの場合、一般人は犯罪や事故死でしかニュース記事に載らないため、あらかじめ悪い意味でのデジタルタトゥーしか選択肢が与えられていない。こうしてみると、犯罪や事故死で記事に載るよりもAV女優やコスプレイヤーとして記事に載るほうが、はるかに幸福なデジタルタトゥーといえるはずだ。だから、AV女優やコスプレイヤーなど性的表現であっても良い意味でのデジタルタトゥーに分類できる。「承認の供給不足」を解決するための手段として社会全体でAV女優やコスプレイヤーを寛容に受け入れてほしい。ちなみに、ぼくは会社の上司に「AVに出演したい」と許可を願い出て断られたから会社を辞めたけど、会社がアダルトに対しても寛容なら性風俗店には勤めずに勤続していた←こんな転職の流れができあがって、一般職から性風俗への人材流入が起きてしまう時点で糞日本社会は腐りきっている。

性表現を社会的に認めない限り、性産業は絶対になくならない

ここからは、ぼく自身が半導体の工場での長い就労期間を経て思ったことについて書きたい。

🏭工場ではみんな頭から全身無塵服被ってマスク着用した状態で働いていたから承認欲求が満たされなくて、とくに若い女性は正社員でも会社に内緒でキャバクラなどの別の仕事でコスプレをしたりして、その写真をブログやソーシャルメディアに日々投稿して承認欲求を満たしていた。だから、既存の一般産業を継続させつつ会社の福利厚生の一環として「承認の供給」は確保すべきだろう。ぼくだって🏭社外ではその女性社員と同じ方法で承認欲求を発散していたからだ。コスプレ投稿にはじまり、野外ポートレートしたり、会社に内緒でバーで働いたり…

熊本市レッドバー

↑会社が社員を制約せずに撮影の自由を正式に認めないとなると必ずこうなる。そしていずれ性産業への転職が増加する→なぜなら性産業は性的対象化される機会を逆手にとれば逆に主体化が可能だからAV女優やフードルは増え続ける一方だからだ。

そうした一般職→性産業への転職によって「承認の供給不足」を解決しようとする動きは、どの会社組織、どの人権団体からみても社会全体の悪循環でしかない。それを防ぐには、会社でも福利厚生の一環としてAV女優やコスプレイヤーを寛容に認めるべきである。そうしなければ、性産業が「承認の供給不足」をカバーしている以上、性産業がなくなるわけがない。

本心をいえば、搾取的な性風俗店を片っ端から廃業させて、会社が社員の自己実現の自由までを認めれるクリーンな社会にしたい😈まぁ無理でしょうが…

下着ユニバの炎上も「承認の供給不足」によって引き起こされていると考えれなくもない。

子どもがいる公共の場で露出の多い衣装で撮影するのは、子どもに悪影響を及ぼしかねないから批判は当然沸き起こる。しかし、炎上した側と批判した側両者はどちらも芸能人ではなく一般人であるという点で共通している。

@yuika.nyanさんのインスタグラム

芸能人であれば水着姿で記事の見出しに載っていても殆どの場合は炎上しない。むしろ拡散されて人気になれる。しかし、一般人がハロウィンイベントに合わせて露出の多い衣装で撮影した写真を投稿すると「露出狂」「下品」「破廉恥」などと悪いように批判を受ける。

だが、批判の声に目をこらしてじっくりとみてみると「子どもがみたら悪影響」といった理由は限りなく少なく、“露出度”に対して批判していることがわかる。下着といえど、十分なまでに着飾っているのに、露出狂だの、下品だの、破廉恥だの、まるで嫉妬心がむき出しではないか!!これらの露出度への言いがかりはなぜ起きるのかといえば、一般人の善人ぶる癖が原因だと考えられる。一般人は大衆と同じ善人であることを強みとしているため、その枠から外れた者を悪人と見做し侮蔑するのである・・・つまり、露出の多い衣装で一般人が撮影をした事実を知るがいなや、一般人みんなで寄ってたがって、露出狂だの、下品だの、破廉恥だのと集団で潰しにかかるのだ。撮影投稿している一般人は承認欲求を満たせているが、露出度を批判する側の一般人は承認欲求を満たせていないから他人のTPOやモラルを批判して承認欲求を満たそうとする。

ではなぜ露出の多い衣装で撮影したいのか?という素朴な疑問を考えてみよう。露出多めの衣装で写真を撮って男が釣れたとしても、露出が多いからといって必ずしも男を釣る目的では撮影してはいないはずだ。なぜなら彼女たち全員が顔まで写っていて、これはたぶん作品としての創造意欲によってしかなされない技だと思えるほどにポーズが決まっている。そこから推察するに、被写体は身体の優美性を強調している特徴があるため、おそらくはモデルという職業に憧れていたためなのだろう・・とうかがえる。
ぼくだって🏭工場勤のころは破れかけたボロボロの作業着で通勤していたから、なぜ一般人は脱ぎたがるのかがよくわかる。仕事帰り、ボロボロの作業着のままコンビニへ立ち寄って、店内の雑誌コーナーを通ったとき『エロ本なのに、何故この人たちはこんなにも輝いてみえるのだろう・・』と憧れたし、出演したいと切望した。アダルト雑誌の表紙をみて『自分を変えなければ』と感化されてしまうような想いは今でも頭の中に焼きついている。

さいごに

AV女優やコスプレイヤーは決して悪気があって活動しているわけではありません。女優に限らず表現者たちはむしろ、ハンデやコンプレックス、過去の傷、将来の不安、あらゆることを自信に転換する弁証法を知らずとも駆使して行動に移し、自己実現して存在意義を確立しているから活動できています。それを外から被害者だの精神疾患だのととやかく否定するのは偽善者のすることだとぼくはおもいます。
親元から連れ去られて拘置所みたいに殺風景な児童相談所の畳部屋に隔離され、悪いことを何一つしていないのに職員から形式的に反省文を書かされ、エホバの証人の家に引き渡され朝三時から深夜まで奴隷のように働かされ、電気コードで血が出るほど虐待され、誰からも知られず生きる意味を見失ったり。あるいは、金品すべてを奪われてド田舎まで連れてこられ、毎日機械のように働かされて傷だらけになり、事故で身体を動かせなくなるほどの窮地に立たされたら、誰だってAV女優という主体的な職業をお金よりも命の次に好んで出演したいと切望するはずです。ぼくにとってはそれだけ重要な問題なんです。
荒金さとみ

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