黎明の蜜蜂(第18話)
例の居酒屋の引き戸を開ける時、結菜はここに来るのは何回目だろうと思った。最初の日からまだ半年も経たないのに、初対面同士のようだった者たちは今や同志のような関係になりつつある。
職場でいろいろあっても、落ち込んでいても、ここでこの仲間たちと色んなことをわいわい話合うと、その活気に心が沸き立つ。嫌なことを言われても、以前ほど堪えなくなってきている。
いらっしゃい!という威勢のいい店員の声に迎えられて、弾む気持ちで奥へ進む。一室だけある畳の間は、いす席のフロアと背の低い和風の衝立で仕切られているだけだ。
結菜は、遅くなりました、と言いながら衝立の横から覗き込む。高島涼子以外は全員先に来ていた。
やあ、と皆が顔を向けた。なんだか、雰囲気が重い。
「ごめんなさい、出かけに急な仕事を言われて」
「いや、それはいいんだよ」
手前側に座っていた健斗と環奈が、伏し目のまま横にずれて席を空ける。訝しい気持ちになりながら、結菜はそこに座った。
「これで、全員集合だな」
「あの、高島さんは?」
「高島さんは、今日は来られないんだ」
間島の声の調子で、何かあったのだと結菜も気づいた。しかし、聞いてはいけないような気がする。
「M銀の大阪浪速支店でアドバイスした不動産売買に不明朗なところがあったと、ネットで騒がれているだろう?」
「はい。ネットにそんなことが書かれているのは見ましたが」
「ネット・ニュースの真偽や、不明朗な売買の実態については調査中だ。でも、高島さんがその売買を主導する内容の書類に決裁印を押したとなっているんだ」
健斗が、たまらず声をあげる。
「捏造なんですよ。その書類!」
間島は落ち着いて続ける。
「そうだ。僕は高島さんから直接聞いた。高島さんは、そんな書類に印を押すどころか、その取引を阻止しようとしていたんだ」
「なんで? 何故そんなことが? 私、そんなことになってるなんて何も知らなかった」
「僕たちも、同じようなものだったよ。高島さんが休んでるって噂はあったけど、そんなことになってるなんて知らなかった」
真一がフォローするように言う。結菜は、涼子が休んでいることさえ知らなかった。
自分は本当にアウェイな環境にいるのだなと痛感する。それは、結菜が2
度も委員会に呼ばれただの、彼女の提案がひょっとして次期10 年計画に組み込まれるかもだの、取り沙汰される中で際立ってきた感がある。
そんな結菜の胸の内を知ってか、知らずにか、間島は続ける。
「僕は、高島さんの潔白を晴らすために協力したいと思っている。皆に同調圧力をかけるつもりはないが、もし僕と同じ気持ちでいる人がいたら、何か分かれば情報交換をして行きたいと思う」
皆口々に、是非、もちろん、当然、という言葉と共に強く頷きあった。それを見て、間島は感慨深げな顔になる。
「このグループを作ろうと思ったのは全く別の目的だったけど、こういう風に純粋に気持ちを合わせて物事に取り組めるのは嬉しいな」
それから、本題に移った。
「今日はそもそも、櫻野君の提案をどこまで経営の中核まで届かせることができるかを話し合おうと思っていたんだ」
「私の力不足で、すみません。『再生案検討委員会』が先週あったのですけど、撃沈してしまいました」
その時のことを思い出しただけで、結菜の額が汗ばむ。
「折角、前回皆さんに色々とアドバイスも貰って、間島先輩と乾さんには個別に想定問答リハーサルまでして貰ったのに、本当に申し訳ないです」
「いや、あれは委員会が君の提案をそれだけ真剣に考えていたということだよ」
企画部長と同じことを言う。
「はい、そう思いたいです。それで私、頂いた質問やコメントを後から思い出してメモにしてみました」
「お、それは有力な参考情報になるな。委員会の連中は役員が聞きそうなことを念頭に質問したと思うし、それが役員会での議論のポイントになるだろうからな」
真一が、身を乗り出す。
結菜はメモを取り出し、皆がのぞき込んだ。
「言われたことを、内容のポイント別に整理してみました」
「わっ、全部でいくつ質問されたの? 二の四の六のぉ、っと、46くらいかな。すげぇ」
健斗が声をあげる。
「それを整理したポイントが、この大項目。つまり、質問は沢山出たが、それは3つくらいのカテゴリーに分けられるということかぁ」
それを聞いて、健斗の肩越しに結菜のメモを見ていた環奈が、声に出して読む。
「提案は訴えるものに欠ける。理由①地域が本当に必要としているプロジェクトであるか説得力に欠ける。②実現に向けての具体的道筋が十分描けていない。③想定されるハードルの例も明確でなく、その克服方法も見えない」
「なかなか厳しいなあ。全く新しいことに取り掛かるのだから分からない部分が多くて当然じゃないのかな。分かっていることにしか投資をしないという姿勢が、そもそもイノベーションへの逆風になってるんだ」
真一は、これだから日本の銀行はもうだめだって言われるんだ、と投げやりな声で悲観的な意見を吐いた。
間島がとりなすように言う。
「そう簡単に諦めてはいけないよ。乾君の言うことは、その通りだが、そうなってしまった背景にはがんじ絡めの行政や、銀行を取り巻くマクロ環境があったんだ。それを乗り越えるには一朝一夕にはいかなくて当然なんだ」
それは分かってますよ、分かってますけど、と真一は頭を抱えたままだ。
「少なくとも①については、もっと統計数字なんかを拾ってきてプレゼンに説得力を増すことはできるんじゃないか」
そう提案する間島に、結菜は申し訳ない気持ちが収まらず、必死の面持ちで、はい何とかします、と答える。なぜか、健斗と環奈だけは意気盛んだった。
「おい、若者たちはやけに元気そうだな。何か隠し持ってんじゃないか?」
真一が、からかうように言うと、健斗が待ってましたとばかりに答えた。
「えへへ、実は自分たち、もう始めちゃったんですよね」
「何を?」
「結菜先輩のアイデアを頂いちゃって」
「え?」
と、驚いたのは真一だけでなく、間島と結菜本人もだ。
環奈がすかさず口を継ぐ。
「私、おじいちゃんを助けたいとずっと思ってたんで。築山くんと組んで」
「なにしたの?」
「取り敢えず、友達とか親戚とかに声かけて。飲み会の日程調整の時とかに使う無料アプリで農作業のネットワーク作ってみたんすよ」
環奈と健斗が勢い込んで交互にしゃべりだす。
「ちょうど今、時期の来ているピーマンとトマトの植え付け作業を手伝ってもらうと助かるって、おじいちゃんが言うんで」
「週末に里山に行ってちょっと農作業とか、やってみない?と声かけたら興味持ってくれる人が結構いて。でも、いきなり農作業って言っても何やっていいかわかんないから」
「おじいちゃんに、植え付け作業の手順を話してもらって、それぞれにかかる時間を大体で教えてもらって、整理したんです」
「それから、それぞれの作業を一人につき一時間半か二時間でできる分量に分けたんすよね。それを調整アプリに割り振って、皆に一斉メールで送ったら」
「かなりの人が、参加できる時間帯を記入してくれたんです」
「へえ」
間島と真一、結菜がほぼ同時に感嘆の声をあげた。
「先週末は、実際の農作業してみて。実験第一日目って訳です。結構みんな非日常を楽しんでましたよ」
「そうなんです。それで、私は後からおじいちゃんに感想を聞いて。どこが、もっとどうであると良いとか、書き出して行ったんです」
「農作業を手伝った側にも、アンケート送って。何が楽しかったか、不便を感じたかとかいう声を集めたんすよ」
「こういう声を分析したりしてまとめるだけでも、委員会でいわれた②や③の答えになりませんかね?」
「なる、なる、大いになるよ」
間島が興奮したように言う。環奈と健斗が嬉しそうに顔を見合わせた。
「次の週末も『実験』するんです。先週末の経験を踏まえて。良かったら先輩たちも参加しませんか?」
「わあ、是非行きます!」
結菜が一番乗りの声をあげると、間島も真一も次々と乗ってきた。
(第19話へ続く)
黎明の蜜蜂(第19話)|芳松静恵 (note.com)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?