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黎明の蜜蜂(第22話)

6月末、環奈の祖父の水田の周りにおよそ50人の人々が集まった。今日は田植えをする。

農家側の参加者は5軒、間島たちの飲み会メンバーはもちろん、それぞれの友人、親戚、友人の友人など、多彩な顔ぶれだ。結菜は一家全員でやって来た。

2週間前、結菜は章太郎に田植えの話をしたが、今回はすんなり応じてくれたのに内心驚いた。前は、あんなにしり込みしていた一家総出の行動、それにそもそも関心のなさそうな農作業なのに、と思ったが乗り気を削がないようにと理由は聞かないことにした。

大夢(ひろむ)には前から何度も話し、現地にも何度か連れて来て心の準備をさせてある。皆で朝早くバンに乗り込み、やって来た。車の駐車場所に限りがあるため、健斗は移動手段の割り振りにも汗を流していた。大夢のことを知って、比較的近い場所に駐車させてくれ、感謝だ。

水をたたえた広い水田がいくつも広がり、背景にある丘の緑と共に、素晴らしく豊かな自然の中に自分がいることを感じさせてくれる。結菜は思わず息を大きく吸い込んだ。

まず、専用の浅い箱で育てた苗を運ぶ必要がある。これが、なかなか重労働だ。一箱8キロ以上するものを温室内の地面から持ち上げ、軽トラックに積む際、要領が悪いと腰痛にもなりかねない。

結菜と父親は2人がかりで一つの箱を運んだ。章太郎は頑張って一人で一箱を持ち上げている。大夢はまだ慣れないので、この作業には加わらず、ビニールハウスの外で母親と作業を見ている。

大変そうでも、大勢でするとすぐ終わる作業だ。積み終わった軽トラックは水田の方に走り出す。水田の方に残った人々が軽トラックの到着を待って、荷下ろしをするのだ。

苗運びが終わったところで、結菜たちも水田の方に移動する。最後に到着した軽トラックの中から笑顔の老人が降り、環奈がおじいちゃん、と声を掛けた。皆笑顔で挨拶を交わし、環奈に促されておじいちゃんが、田植えの見本を見せることになった。

この頃は機械で田植えすることが多くなったんだがね、ここは田圃の形もいびつだし、機械を入れにくいんだ、と言いながら箱を取り出す。そして、箱の中の苗を3から5本ずつ一まとめにし始めた。  

結菜たちも真似る。おじいちゃんは、その一束を皆の前にかざした。持ち方はこう、泥の中に3センチくらいの深さに、と説明する。根が折れないよう指先を伸ばして根を守るように差し込むんだよね、と環奈が補足する。

そうだ、と頷いておじいちゃんは幾束か左手に持ち、水田に足を踏み入れ、右手で一束ずつ植え始めた。それを見ながら環奈は、苗と苗の間は10センチ強空けて、まっすぐ一列に植えるんだよね、と確認する。

見ていた皆もおいおいに水田に入り、田植えを始めた。慣れない泥に足を突っ込んでふらつく人、苗の植え方に要領を得なくて四苦八苦する人、水田のあちこちでキャッという声が上がる。両親と大夢は、空になった苗箱を軽トラックに積みなおす作業を一緒にしていた。

皆、ちょっとした騒ぎを起こしながらも、昼前には田植えを終わり植えた稲を踏まないように慎重に畔道に上がってきた。そこへ、リヤカーに太鼓を乗せた5、6人がやってきて太鼓をたたき、笛を鳴らし始める。

聞けば地元の芸能保存会の人々だそうで、プロジェクトの趣旨に賛同して参加者にも楽しんでもらいたい、と計画したそうだ。和太鼓と篠笛の音は、里山風景に溶け込んで、体に直接響いてくる感覚を覚える。

しばし楽しんだ後、秋の収穫の説明を聞く。収穫時には、自分たちの植えた稲を精製した米を分けてもらえる。それ以上欲しい人は、購入もできる。今後ポイントを導入した際は、労働提供量に応じてポイントを貰い、後に他の野菜などに換えられるようにもする。

この説明をした人は、結菜が初めて会った農家の青年だ。農業に積極的に取り組み、この美しい自然を活かしながら、村も自分も本当の意味で豊かになるよう頑張りたいと言っていた。

環奈のおじいちゃんの庭先にある井戸の水で手を洗わせてもらっていると、おじいちゃんが近づいてきた。
「どうだい、疲れたかい?」
「ええ、少し。でも、いい疲れという感じです」
「そうだろう? 土はいいもんだ。日に当たって水を吸って植えた種や苗が育ってくる。こまめに気を遣ってやれば、米も野菜もそれだけ元気に育つ。お天道様と地球と一緒に育てているんだと実感できるんだよ」
「そうですよね。こうやって実際に土を触ったり、苗を植えたりするって、そういう実感の始まりなんですね」

「この頃はAIだとか何とか、ものすごい技術が出てきたが、それを人のために役立てられるよう育てられるかどうか、が肝心だろう?」
「本当に。その肝心かなめのところは、やはり育てる人間によって違ってくるのですね」
「そうさ。そういう事を考えると、自然の中に入って、この地球上の生き物はどういう風に生かされているかを実感するのは大事な事だろうと思うよ」
「そうすることで、テクノロジーを良い方に育てる心を養えるんですね」
「そういう心を育てて貰えるんじゃないかと、わしは思うよ」

そんなやり取りをしている間に、開放的な庭に村人が色々なものを持ち込んできた。おにぎり、お漬物、飲み物、自家製の味噌、採れたての卵、野菜などが少しずつ並ぶ。

これから昼ご飯を食べようとしている人々が、簡易の台に乗せられた品物を見にやってくる。結菜も真一や環奈、健斗と一緒に近づいた。
「あら、はちみつ?」
「そうですよ。日本蜜蜂のはちみつ。貴重品なんですよ」
「日本蜜蜂がこの辺にいるんですか?」
「いますよ。私も農業の傍ら、養蜂を始めたんです。可愛いやつらですよ」

すげえ、すげえ、と健斗が声を上げると、売り手も嬉しくなったみたいだ。
「そう。蜜蜂はすごい奴らなんですよ。秀でた知能の持ち主なんです。人間なんか足元にも及ばない社会を作ってるんですよ」
へええ、と驚く健斗と環奈の横から真一が、そうそう、思い出した、と口を挟む。
「分蜂、とか云う話ですか?」
「そう。蜜蜂は新しい女王蜂が生まれると、今いる女王蜂が半分の働き蜂を連れてお引越しをするんですよ。その時にね。働き蜂がいっせいに方々に飛び立つんですよ」
へえ、そうなんだ、と四人が口々に言う。

「それで、しばらくすると飛び去った蜂たちは巣の近くに待機している蜂たちのところに戻って、皆で情報交換をする」
「そんなこと、するんですか!」
「それで、あっち方面が良さそうだという意見が多い方向に、また飛んでいく。そうやって段々と一番良い場所を特定して、そこへ皆が引越しするんだ」

真一が、あ!そう!と声のトーンを上げた。
「それで、蜜蜂は究極の民主主義で社会を作っているって言われているんですよね!そんなこと、聞いたことあるな」

それを聞いた結菜は、すごく楽しくなった。
「ここでやっていることも、それに似てきてない?」
あ、そうだ!そうかも!そうだね!と四人は口々に言い、顔を見合わせ、あはは、と笑った。何のことか、よく呑み込めていない村人も一緒になって笑った。

そんな風に皆、思い思いに買い物をし、縁台に座ったり、ビニール・シートを広げたりして、昼食を始め。他に行くところがある人は、そのまま帰るし、田圃の前がいいと言って、あぜ道に戻っておにぎりの包みを開ける人もいる。

結菜は活き活きとした顔をして、環奈や健斗や他の皆と積極的に関り、しゃべり、行動し、笑い、そしてメモを取っている。その眼は、好奇心と探求心をエネルギーでかき混ぜたような光を帯びてきた。きびきびと動く姿はもう起業家の雰囲気をまといだしたな、と章太郎は思った。

大夢も機嫌が良い。結菜たちが座っても、一人空を見上げてぴょんぴょん跳ねている。章太郎がおにぎりを包みから出し大夢を呼ぶと、嬉し気に近づき、兄の手からひょいとおにぎりを取った。

章太郎が優しく肩を抱いて、大夢を座らせようとする。いつになく大夢は素直に従い、兄にもたれかかって、おにぎりを頬張る。父も母も、限りなく嬉しそうにその姿を見ていた。
                       (第23話へ続く)
黎明の蜜蜂(第23話)|芳松静恵 (note.com)


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