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蜘蛛の巣の上の水滴に思うこと ~公式コンテスト「NeWork賞」受賞に寄せて

最近読んだ本の中に、こんな一節がありました。

蜘蛛の巣に、こう、いっぱい水滴がついていて、
そのひとつひとつの中に、それぞれ、世界があって、反射しあってるんです。で、同時並行的に、全部の世界の時間が進んでいくんです。後ろにも前にも、左右にも無数の世界があって、そのすべての世界で、あらゆる可能性が広がっている。僕たちは、その可能性の中のたったひとつを生きているわけです。次の瞬間には死んでいる自分がいて、でも、その自分の代わりに、こっちの、生きていく自分を生きている、
自分はたまたま「こっちの道の担当」になっただけなのだ。向こうの道を選んだ自分もいて、そっちはそっちで、なんとかやっているのだ。

  ~『選んだ理由。』石井ゆかり著 中川学氏のインタビューより引用

仏教の教えの一つなのだそうです。

なるほどなぁ(最近のドラマでもオダギリジョーさんが言っていた考え方と似ているな)と思いながら、「#あの会話をきっかけに」コンテストにて、受賞した記事のトップ画像に、蜘蛛の巣にかかる雨粒を選んだことを思います。

事前に仏教(華厳経)の知識があって、この画像を選んだわけではないのです。
ただ、記事に書いた「失敗することや遠回りすることで広がる可能性」と、「蜘蛛の巣の雨粒の中に広がっている可能性」の話に、なんとも言えぬ縁を感じ、覚えておきたい一節となりました。


◆受賞作◆


◆発表された記事◆

改めまして、昨日、NeWork×noteの公式コンテストにてNeWork賞を受賞しました。
読んでいただいた方、Twitterや受賞作にお祝いの言葉を頂いた方、本当にありがとうございました。


Twitterにも書きましたが、この記事は「コンテストで受賞したい!」と意気込んで、このコンテストのために、書いたものです。

こんな風に書くと、やる気に満ち溢れているようですが、実は、これほど受賞への熱意をもって書くのは、すごく久しぶりでした。

というのも前回、同じようにnote公式コンテストへの熱意をもって書いた作品が、箸にも棒にも掛からぬものだったと感じました。受賞作が発表されたとき、自分の書いたものと、賞までの距離の途方もなさに、打ちのめされました。


◆恥ずかしながら、当時の作品はこちら◆


これ以降、本気でコンテストに挑むことが、怖かった。
自分に足りないものを突き付けられ、嫌というほど自覚させられ、書き続けることがもう出来なくなるかと思いました。あんな真っ黒な思いはもうしたくない、と思っていました。

それからは、なんとなくそれっぽい記事に、企画やコンテストのハッシュタグは付けてみるものの、挑戦する!と思って書くことは、しばらくありません。


けれど、私の日々考えたことや思い出をつづる記事に、「共感しました」「考えるきっかけになりました」など、ここには書ききれぬほど、嬉しいコメント頂き、スキを頂き、少しずつ頑張ってみようかと思えるようになったのです。

誰か一人にでも届いたのであれば、自分の書く言葉の中に、
何か、はあるのではないか。
書き続けてもいいのではないか。
また、挑戦してもいいのではないか。
そんな風に。



気持ちを徐々に整え、私設コンテスト・企画などへの挑戦を経て、今回の公式のコンテストへ挑んだのでした。


ここまで、一本道のように書きましたが、
初めの仏教の話に戻ると、どの要素も絡み合いながら、
それでいて、違う選択をした自分も別の世界にいたのかな、と思ったりもします。

けれど、どの世界にいても、温かく、コメントやスキを下さる方々に支えられていることは確かです。そうでない自分は想像できません。本当にありがとうございます。
私自身は、コメントを書くのは好きなのですが、すごく悩んでしまう性質で時間がかかり、書きかけて送信できないこともあり。お返しできていないことがたくさんあると思います。ごめんなさい。

コメント力・記事ともに精進していきますので、
これからもどうぞよろしくお願いします。

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せやま南天
読んでくださり、ありがとうございます! いただいたサポートは、次の創作のパワーにしたいと思います。