遠くても愛してる人達
この記事は綴っていて私が泣いたら書くのをやめようと思っています。だから途中までになるかもしれないけど。
この一年、嵐がいない年を過ごして
私は心境の変化は確かにありました。
1番大きな変化としては
嵐を感じれることがなくても
嵐のことを考えても
泣くことが減った。
嵐が居ない…と、感傷に浸ることも少なくなった。
もちろん寂しい。嵐が居ない虚無感。喪失感。半端ない。辛くなる。
ただ最近は嵐が表舞台に戻って来なくても
みんなが元気生きて楽しく幸せに過ごしてたり
5人の関係は変わらずに笑い合っていたり
それだったら、それでもいいなぁってそう思うようになってきて。
個人の活動を観ていて、それぞれも楽しそうにしている姿を見ていれば少しずつ受け入れるようにもなる。
しかし100%完全にこの思考ではない。
個人が嵐の話をすれば
やっぱり本人達も嵐を追っていると感じてしまう。
5人の姿を見れば
ステージ立つ嵐を見れば
アイドル 嵐 を見れば
どうしようもなく嵐に会いたくなる。
嵐の姿を追いたくなる。
嵐が好き。
たとえ離れていようとも、嵐が活動休止していようとも、私の中に、中心にいるのは嵐なんです。
気を紛らわすと言ったら悪くなるけれど
他の人をたくさん観にいった。
たくさんの娯楽、アートに触れてみた。
嵐以外に触れて嵐のこと考える時間を減らそうと。
邪道。
なにを観ても、何に触れても
表舞台に立つ人を観ていると
どうしても、なにをしても
嵐だったらどうするかな、どう表現するかな
嵐で観てみたいな、嵐なら、嵐ならって
ずっと嵐のこと考えていた。
嵐がステージに立つ顔が良すぎたんだ。
バラエティ、歌、ドラマ、映画
なにしてたってその姿には敵わない。
アイドルである5人そのものが、傑物なんだ
5人揃えば、無敵になってしまう。
嵐の存在が絶対になっている。
嵐のライブに行きたくて
嵐に魅せられたくて
嵐のエンタメに浸りたくて
とにかく嵐に会いたくて
どうしようもなかった
この一年通して改めてわかったよ。
私は嵐のこと、人として、大人として、尊敬していて、憧れで、羨望している。
一生敵わない相手で、愛おしいひとたちなんです。
嵐が好き。
嵐の記憶がいつか無くなってしまうのは怖い。その気持ちは今もずっとある。
月日が経てば、年も重ねれば、嵐がくれた時間も温度も私の中で少しずつ記憶が変わっていくかもしれない。
でも、そこに幸せだったっていう気持ちだけは変わらずに顕在している。
この気持ちが確かにある。
まぁ、うん、これでいっかって。
こう思えてきてるのは
嵐が築いてきてくれたものであろう。
嵐が残してくれているものがたくさんあるから。
わたしには宝物がたくさんある。
私は待つことしかできないなら
待つうえで出来ることをやろうと思う。
ただ待つだけとかできない。そういうオタクです。
待つこと得意じゃかったんだけど
嵐のおかげで待つのも楽しいなって
最近だけどね、思えるようになったよ。
いつか戻ってきてくれたら
おかえりって全力で愛を伝えるんだ。
たとえもう戻って来ないって選択になったとしても
私は受け入れられるようになりたいし
そうなったらいままでたくさんありがとうって愛を伝えたい。そしてこれからも大好きだよって伝える。
離れてもっともっと好きになっている。
泣いてしまった。締めよう。
まだ前奏も終わってないくらいでちょっと私焦りました。いつか続き書きます。
ここまで綴っていて
私は嵐が好き
この気持ちは変わらない。
これを改めて確認できた。
そして泣くことが減った。わたし十分頑張った。
でもやっぱり寂しくて。
本当に愛おしい人たちなんだ。