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なぜ人は生きるの?(その1)

僕が鬱病になったのは21年前。

今も服薬と月1回の通院治療を継続している

当時は門真市にある某大手企業の100%出資の子会社で仕事をしていた

知る人ぞ知る、その大手企業は製品を作るのが仕事

僕のいた会社はその製品群をマンション等の大規模集合住宅に納入するため、設計・施工監理・アフターサービスまで行う東京の子会社だった

その親会社は、戸建て住宅向けならほぼすべての製品を製造しているので、Pホームという別の子会社ならCM等で耳にした事もあるだろう

ある時、国内で最も大きな営業所である東京営業所の営業マンが「戸建て向けの製品群をマンションに納入すれば、これまでよりも収益が飛躍的に伸びるはず」という突拍子もない案を提案し、わが社はそれに対応するために新規部門を立ち上げた

僕は元々設計部に在籍していたが、この会社に転職する前はゼネコンで建設現場の監督をしていたため、その経験を買われて新規部門に5人だけ抜擢されたうちの一人となった

いくら現場経験があるといっても所詮は未経験のようなもの

自分自身だけでなく会社にもノウハウは全くない

建設業界とは元請けのゼネコンの下に100以上の下請け会社が自社の施工範囲を工程通りにこなしていくことで1つの建物ができる

たとえそれが世の中でも名前が知られている大企業であっても、現場ではただの下請け業者に過ぎない

しかし今回は親会社の力で強引な営業を行い、既に契約した下請け会社から仕事を奪う形で受注

当然現場を仕切るゼネコンの主任は「所詮は素人。もう二度と来ないように下請けいじめをしよう」と動いてきた

下請け会社の現場責任者を任された僕は、様々な同業者に教えを乞いながらいじめに耐えた

当然、自分の会社には相談できる先輩も上司もいない

いじめの内容は今だに思い出したくないのでここでは省略

そして約1年半の工期を全て終え引き渡しまで完遂したのは2000年3月だった

身体に異変が起こったのは翌朝

担当していた現場は2ヵ所あったが、そのうちの厄介な現場を終わらせたので、後は気持ちも楽だった

それなのに朝の目覚まし時計で目が覚めても身体が動かない

「あれ?どうしちゃったのかな?」

自分でも理由がわからなかった

結局その朝は1時間遅刻して出社できた

しかし翌朝もその次の朝も同じ症状

さすがに焦りが出てきた

会社に「遅刻します」と電話することさえ手に汗がびっしょりだった

一週間程たった時、千葉営業所で僕を育ててくれた先輩から「メンタルの病院に行ってみろ」とアドバイスを受けた

そして都内の総合病院で初診

「うつ状態のためしばらく休養を要する」と診断書に書かれていた

僕が鬱病?

信じたくない気持ちと同時に、これで休めるという安堵の気持ちがあったのを覚えている

(その2へ続く)