見出し画像

なんだってできる感

これまで何が原因で失敗してきたのか、35歳を目前にしてようやく分かった。何の話かというと図書館の利用方法である。
私は心がデブなので(※太っている人を貶める意図はない。足るを知らず、無限に求めてしまうという意味で使用します。ちなみにこのワードは安野モヨコ先生の『脂肪という名の服を着て』に出てきて、大変感銘を受け、折りに触れてよく言ってしまう)、これまで図書館に来てはあれも読みたいこれも読みたいと、上限ぎりぎりまで借りては、結局期限までにほとんど読みきれず、延長を繰り返し、そもそも返しに行くのも面倒になり、延滞をし、結果図書館に『通う』というところにまで辿り着けなかった。
こうやって書いているだけでも失敗の理由は明白なのに、なぜか今までは分からなかった。そう、借りる冊数を減らせばいい。減らせばいいというか、一冊だけにする。
いまの部屋は図書館も近い。(以前の部屋もそうだったんだけどまだその頃はずぼらを脱せていなかったので図書館に通うマインドが醸成されていなかった。人生はタイミングも大事)
ある休日に突然思い立って訪れた図書館は、昔子供の頃に訪れた建物より随分こぢんまりしているように思えたが、それでも棚という棚に隙間なくみっちりと蔵書が詰められており、私の一生でここにある本を全部読み尽くすのは難しいかもしれないという量がある、とじっくりと図書館中を練り歩き、背表紙を眺めて感動した。すごい、ここには何でもある。本屋に行く時も「世の中にはまだ知らない本がこんなにあるのか」と圧倒されてわくわくするけれど、図書館はなんといっても予算を気にせず好きなものを手に取っていい。吝嗇気味の私には、本屋のそれよりも脳汁が溢れてたまらない。
一冊だけ、と固く決意をして訪れたのに、何度も何度も心が揺らぎそうになりながら、私は30分以上もうろうろして、ようやく一冊を決めて恐る恐るカウンターに持って行った。
貸出期間は2週間。そんなの楽勝、と舐めてかかっていたが、2週間はあっという間で、気を抜くともう期限が迫っていて、「え!もうそんなに」とカレンダーの前で呆然とする。
余談ですが、ここ一年で先人たちの言っていた「いやいや30代になったらもっと体感早いよ、40代過ぎたらもう秒速」というような言葉をほんとうの意味で実感しつつある。いや〜20代も一瞬て感じしますよ〜と言ってた私はまだまだしょんべん臭い小娘でした。閑話休題。
そんなこんなで、私は図書館通い歴がそろそろ4ヶ月ほどになる。3日坊主の私にとっては快挙である。
ちなみにあんなに固く『一冊だけ』と決めていたのに、結局いまはもう毎度三冊借りている。だってこんなに沢山の本があるのに、全然読めてない。早く読み尽くしたい。でも『消化』なんて勿体無いことはしたくない、ゆっくり『味わって』読みたい。欲と欲の間で苦悩しながら歩く図書館は心地よい。
先日図書館で借りて読ませていただいた『紙の月』という小説のなかで出てきた、主人公が朝のホームで「なんだってできそうな感じ」を抱くシーンが、なんだかすごく「わかる……」としんみりした。
うおおおおおと拳を振りかざすような感覚ではなくて、じわじわむずむずとお尻の骨からあたまの先までをふるわせるような無敵感。万能感というのはちょっと違うのかもしれない。私の目の前にはどんな壁もないんだ、とハッと目が醒めるような気持ち。(※この主人公はそんな感覚ではないのかもしれない、これは私の個人的な感想です)
いま図書館に通っている私は、まさにそんな感じです。
しかし、「なんならあの話題書だって読めるのでは!」とずっと読みたいなと気になっていた本を蔵書検索したら、『1660件の予約があります』という文字に迎えられて頭をはたかれたような気持ちになりました。
いえ、でも、私の『なんだってできる』感はまだ消えてはいません。
最近は柚木麻子先生の『BUTTER』と『とりあえずお湯沸かせ』を読んですっかり食に取り憑かれてしまい、毎日毎日ご飯のことばかり考えています。
とくに『BUTTER』はヤバかった。(語彙力の死)
私はどちらかという全然食べ物に興味が薄く、お腹が空いていても「めんどくさい」という理由で飯を抜く、めんどくさいが背骨に通っているだらしなさ検定一級の人間で、これまではタイパと栄養だけを考え『食とは栄養摂取』と思っており、わざわざ『お取り寄せ』をしたり、高いお金を払って美味しいものを食べに行ったり、美味しいものを食べたいからと料理をする人の気持ちがまったくこれっぽっちも分からなかった。
しかしいま、食という欲望に開眼してしまい、もうどうにでもなれとばかりに体に良くないとされる高脂質、精製糖ばかり摂取している罪の日々です。野菜も食べてる。でも明らかに脂質と糖質の量が増えている。
ブラッドベリの『火星年代記』で、「人間に腕がなければ殺人の罪は存在しない、男が二人と女が一人いるから姦通の罪も生まれる。未知なる火星で、新たな器官を持つ生き物がいたら、また新たな罪が生まれるだろう。だから私は新たな罪を見つけに火星に行く(※めちゃくちゃで適当な要約)」と言ってた神父様がいたんですが、私にとっては『食事』が新たな罪の器官だったのか、とトーストした食パンの上にまだ冷たいバターをのせて、口の中で溶かしながら熱々のパンを頬張っている。毎日何グラムのバターを摂取しているのかもう恐ろしすぎて考えたくない。でもバターの誘惑に勝てない。
そして思う。子供の頃ならこんなの絶対に許されなかったけど、私はその気になったらこの200グラムのバターを一日で全部食べ尽くしてしまってもいいんだ。それってなんかすごいことでは。バターは高いと思っていたけど、今まで買っていたコンビニ弁当程度の値段でこの『なんだってできる』感を手に入れれる。バターって、いや、スーパーマーケットってすごい。食ってすごい。人生ってこんなに自由なんだ。
しかし私ももう35歳。太るのは一向に構わないし、なんならあと10キロくらい増量しようと思ってるけど、健康に害が出るのはこわい。父方は糖尿病、母方は胃がんの家系である。
せめてと思って、毎日6000歩は歩いて、水だけは沢山飲む、と決めている。いったいいつまで続くかしらん。

いいなと思ったら応援しよう!