『黒い鉛の夢』
《この文章は『モノ・シャカ』四号、テーマ「死・不条理・もしくは笑い」に書き下ろしたものです》
オーギュスタンは十三歳か十四歳くらいの男の子でした。なにせ自分の歳を数えたこともないし、いつ生まれたのかも定かではなかったのです。ちいさいときに、エンゾという名の魔法使いに拾われて、それから数年間は一緒に森の奧にある質素な小屋で暮らしていましたが、いつの日からかエンゾは小屋に帰ってこなくなりました。それからオーギュスタンはずっとひとりぼっちでした。
毎朝アオガラたちの囀(さえず)りで目覚めて、井戸から水を汲み木の実を集めて、干し草の上で昼寝をしました。夜になると、木の実を食べ星を数えて、ほんとうのほんとうにさみしくなったときには魔法の杖をひと振りして、森の動物たちを集めました。そして夜風に揺れるジャスミンの花畑を動物たちと一緒に眺めていました。月が深く傾くころには動物たちは森へ帰っていくので、オーギュスタンは夜更けが嫌いでした。動物たちが帰ったあとには、一人干し草にくるまり杖の先に橙色の光を灯して、それを見つめてさみしさを紛らわせていました。
オーギュスタンに友達はいません。メルキュレの街に行っても誰も話しかけてはくれません。オーギュスタンはボロを着ているし、なにより魔法使いだったからです。街の子どもたちがオーギュスタンをからかうこともあります。オーギュスタンに石を投げて、ぶつけた人が次の日の学校の人気者になりました。魔法を使えば石をよけることなんてわけありませんが、オーギュスタンにはそんなことはできませんでした。こわくてさみしくてみじめで、とても魔法を使う気にはなれなかったのです。
『魔法はやさしい、うんとやさしい気持ちのときに使うんだ。そうじゃないと、いつかしっぺがえしにあうぞ』
エンゾのしゃがれた声と、ルビーのように真っ赤なひとみをオーギュスタンは思い出しました。
「ボロでとんまのまほうつかい。ひとりぼっちのまほうつかい。仲間になんかいれないぞ」と子どもたちは囃し立て、そのうちの一人が石をオーギュスタンに投げつけました。石はオーギュスタンの右目の上にあたり、子どもたちは大喜びで騒ぎます。オーギュスタンはこんあことにはなれっこのはずでしたが、こころも体も痛くてたまりませんでした。ボロの袖で涙をぬぐいながら、オーギュスタンは森の小屋へ駆けました。どうしてぼくには友達ができないんだろう。どうして? どうして? オーギュスタンは涙がとまりませんでした。
ある新月の夜、オーギュスタンが干し草にくるまって杖先に灯した光を見つめていると、コンコン、と小屋のドアを叩く音がしました。オーギュスタンはびっくりして動けません。森の小屋を訪ねてくる人など、今まで一人もいなかったからです。またコンコンコンと、今度は三度ドアを叩く音が鳴りました。聞きまちがいではありません。おそるおそる扉を開けると、そこには小さなかわいらしい女の子が立っていました。背丈はローズゼラニウムの生垣ぐらい、髪の毛はくしゃくしゃで竹箒のよう、透き通った白い肌は雪みたいで、しくしくと涙を流して泣いています。オーギュスタンは仕方なく女の子を小屋の中に招き入れ、椅子に座らせました。女の子を明るいところで見るなり、オーギュスタンは目を丸くして驚きました。女の子の膝が普通と違っていることに気付いたからです。木製の球が接がれていて、よく見ると肘や手の指の関節も同じ様子でした。ひとみもまるで本物のエメラルドのように鮮やかなグリーン、雪のように白い肌にはうっすらと木目のような線が入っていて、まるで木で作られた人形のようだったのです。オーギュスタンは固まってしまいましたが女の子は一向に泣き止みません。オーギュスタンは街で買ってきたミルクと拾ってきたくるみとを机の上に出してあげました。そして魔法の杖をひと振り、杖の先から光が溢れ、冷たいはずのミルクからはほくほくと湯気がたちのぼり、くるみの実はトントントンと殻を破って出てきました。すると女の子の顔はパッと輝いて、手を叩いて笑いました。
「あなた魔法を使えるの?」
オーギュスタンは得意になりました。誰かに魔法で喜んでもらったことなんて初めてだったからです。
それから日が昇るまで、オーギュスタンは女の子の話を聞いてあげました。名前はないこと、歳もわからないこと、なぜここにいるのかもわからないし、どこに行けばいいのかもわからないこと、そしてなにより、ほんとうの人間になりたいこと。オーギュスタンは女の子の話をうんうんと頷いて聞き、いつしか二人は眠ってしまいました。オーギュスタンは誰かと一緒に寝ることがこんなにしあわせだとは知りませんでした。一人分の干し草では窮屈でしたが、それでもオーギュスタンは嬉しくなりました。
オーギュスタンは女の子にネージュという名前をつけてあげました。それからオーギュスタンとネージュはずっと一緒でした。アオガラたちの囀(さえず)りに二人で目覚め、一緒に井戸の水を汲んで木の実を集めて昼寝をし、夜は花畑を眺めて一緒に干し草に丸まって寝ました。ただ、メルキュレの街に行くときには、ネージュは森の小屋でお留守番をしていました。オーギュスタンはネージュにみっともないところを見せたくありませんでしたし、ネージュがからかわれたりすることが耐えられなかったからです。
ある日、ネージュは言いました。
「ねえオーギュスタン、わたし一度でいいから大きな花束が見てみたいの、両手に抱えきれないくらい大きな花束」
オーギュスタンは小屋の前に落ちていた枯れ木を集めて、ネージュに抱えさせました。そして杖を軽く二回振りました。すると、ネージュの腕の中にあった枯れ木の束がぴかっと青白く光ったかと思うと、次の瞬間には真っ赤なバラの花束に変わっていました。
「おおきな花束! ありがとうオーギュスタン」
ネージュは緑のひとみを輝かせて喜び、その花すべてを花瓶に入れてずっと大切にしました。
またある晩二人で星空を眺めていると、ネージュはこう言いました。
「ねえオーギュスタン、あの輝く星を手に取ってみれたら、どんなにすてきかしら」
オーギュスタンは夜空に向かって杖をひょいと三回振りました。すると夜空から流れ星がすいと流れ落ちてきて、ネージュの手のひらの上ですくと止まりぴかぴかと瞬きました。
「まるで夢みたい! ありがとう」
ネージュはその星をペンダントにして、いつも首に下げるようになりました。
それからしばらくたったある日、ネージュは言いました。
「ねえオーギュスタン、わたしもほんとうの人間になれたらーー。そんなふうに、そんなふうに思ってしまうの」
オーギュスタンは困り果ててしまいました。人形をほんとうの人間にする魔法なんて知らなかったからです。
『命をつくりだすなんてことは無理なんだ、できっこない魔法なんだ。肝に銘じるんだよオーギュスタン』
オーギュスタンはエンゾの言葉と真っ赤なひとみを思い出します。
「ごめんなさいオーギュスタン。わたし今とってもしあわせ。でもたまに、ほんのたまにそう思ってしまうだけなの。あなたを困らせるのはいや」
ネージュはしくしくと泣き出してしまいました。オーギュスタンはネージュの頬を撫でると、冷たい木の感触に悲しくなりました。オーギュスタンはこころを決めて杖を取り出し、力強くゆっくりと五回振りました。杖の先からはおどろおどろしく赤い閃光が溢れ、やがて橙、黄と色を変えてネージュの体を包み込みます。やがて光が白くなったころ、光の中からネージュが現れました。その緑のひとみや白い肌はそのままに、丸い接ぎや木目は消えていました。
ネージュはおそるおそる自分の胸に手を当てました。
「きこえる……きこえる! オーギュスタン! ほら、わたしの心臓のおと」
ネージュはオーギュスタンの手をとって、自分の左胸に当てました。オーギュスタンは自分の手がだんだんと暖かくなっていくのに驚きました。そしてかすかですが、とくん、とくん、とネージュの心臓が鳴る音を感じました。
「もうわたし、人形じゃないんだ!」
ネージュは嬉しくなって踊りはじめました。オーギュスタンは踊ったことなどありませんでしたが、ネージュに手を取られ見様見真似で踊ります。暖炉の炎に照らされて二人が踊っていると、森の動物たちも続々とそれを見にやってきました。月明かりと炎に照らされて、二人は朝まで歌い踊りました。太陽が昇りはじめたころ、二人は干し草のなかで眠りにつきました。オーギュスタンもネージュも、体がぽかぽかして仕方がありませんでした。
明くる日ネージュが目覚めると、隣にオーギュスタンはいません。オーギュスタンはねぼすけなのでネージュは不思議がりました。ネージュが小屋から出ると、オーギュスタンは切り株にポツリと座っていました。そして、じっと自分の手のひらを見つめているのです。
「どうしたの? 昨晩はあまり眠れなかったかしら」
ネージュが尋ねてもオーギュスタンはうわのそら、何も答えません。
「ねえ、ねえったら」
ネージュがオーギュスタンの手を握ると、ようやくオーギュスタンは気がつきました。ああ、おはようネージュ、と虚(うつ)ろな顔で言うのです。おはようネージュ、昨晩は体がぽかぽかしてなかなか眠れなかったや、と。
「じゃああとで一緒にお昼寝をしましょうね。ねえ、わたし今から井戸に水を汲みに行ってくる。今日は魔法で楽をするのはなし。なんだか、自分の手で持ってみたい気分なの」
ネージュは鼻歌を歌いながら、小屋の奥に桶を取りに行きます。その言葉にオーギュスタンは笑顔を浮かべました。しかしオーギュスタンはこのとき気づいていました。オーギュスタンは魔法が使えなくなってしまったのです。
(続きは本誌にて)