「びじゅチューン!」愛すべき歌詞係たち【4】 「オレがオレが!」のデューラー祭り
Eテレの番組「びじゅチューン!」、その画面の隅で人知れず仕事をしている歌詞係にスポットライトを当てる企画、第4弾です。
今回はタイトルにもある通り「オレがオレが」な歌詞係なのですが、今回は歌詞係としてだけでなく作品全部が「オレがオレが」なヒトの作品、「1500年のオーディション」からご紹介です。
動画をご覧になると分かるようにデューラーが「これでもか」と自分を推す内容です。「I am アルブレヒト・デューラー!」というフレーズが何回も繰り返されます。
自画像によって自己を表現し切りたい!「正面突破自我ZONE」なのです。
当然動画の主役もデューラーなら歌詞係もデューラー、しかもよく見ると2種類。デューラー×3、盛大にデューラー祭りが開催されています。
動画の前半と後半で異なる歌詞係の自画像、正面の自画像、どんだけ自分を描いたのデューラー。
それではここで元となった作品「1500年の自画像」を見てみましょう。
歌にもある通り、真正面から自分と向き合った、なんとも力を感じさせる自画像です。
注目すべきは人物だけではありません。暗い左右の背景に書き込まれた文字を見てみましょう。
画面左側のこれ。
これはアルブレヒト・デューラーの頭文字をデザインしたものだそうです。その上にはこの自画像を描いた年、1500の文字も見えますね。
「びじゅ」のデューラーのPCにもこのマークが入っています。
さらに画面右側の文章。
これは「びじゅチューン!」のコーラスバージョンでは次のようにセリフで入れられています。
「我、自らの姿を永遠に変わることなき色をもて描けり」
ほほぅ・・・
自信満々、「オレ様参上」なダメ押しを、こんな素晴らしい自画像に文字でも加えています。(もう少し正確な訳はこちらのサイトをご覧ください)
どんだけ自分大好きなの?
私は2020年の6月に、この「びじゅチューン!」の作品でそんなことを感じて記事にしていますが、昨年11月に配信された、私の大好きな山田五郎チャンネルのデューラーの回を見て、爆笑しながら「やっぱりぃ~🤣🤣🤣」となりました。
それによると、デューラーはこの自画像を救世主キリストのように描いていること(当時の常識だともっての外!)、同時代の画家に比べてもデューラーは自画像の数が多いこと、そしてその自画像には必ず例の頭文字のサインと年代、自己主張の強い文字による書き込みがあることなどを知ることができます。
なんてったって、皇帝に約束の年金を支払ってもらえるように直談判しに行っちゃうエピソードの持ち主、自己主張はデューラーのお家芸なのでしょう。このYouTubeの中にも「自己主張激つよマン」のテロップが出され吹きました。五郎教授によると「こんな画家いない」のだそうです。
だって自画像だけでなく、宗教画などでも必ず絵の隅っこなんかでなくいい位置に、もちろん自己主張しながらいる!
何故そんなに自己主張をするのかは動画に詳しく解説されていますが、この山田五郎の「オトナの教養講座」、本当に面白いです。興味深いという点でもですが、オモシロイ!毎回ゲラゲラ笑いながら見ています。
ついでに歌詞係のモデルとなった自画像も載せておきますね。背後の書き込みにもご注目です。(両方ともWikipediaからのリンク)
でも、デューラーが自分をキリストに重ねたのは傲慢、増長、ナルシスト故でなく、宗教改革と関係するというのが五郎教授のお考え。
「オレがオレが」は裏返せば自主独立。その気風が人一倍強いデューラーは自分を律し自分に厳しくあろうとし、それを表現するのに救世主と重ねた自画像を描いたのだそうですよ(五郎論)
そんなストイックさは「びじゅチューン!」の「1500年のオーディション」にも表現されています。。
オーディションでどんだけ大役を射止めたのかと思えば「役名は通行人A」
「エキストラこそわが天職」
「花束いらずのクランクアップ」
「私の観客は私です」
素敵です、デューラー。曲調もロックでカッコいいですね。
さて、そんな「オレが」のケはあるけれどそうなりそこなっちゃった、ちょっと残念な歌詞係をご紹介します。
「アルノルフィーニ夫妻のベルト防衛戦」のこの方。
元の絵「アルノルフィーニ夫妻像」の作者、ヤン・ファン・エイク。
顔が文字です。
元の絵をどうぞ。
ヤン・ファン・エイク、正面の鏡の中に自分らしき人物を描き、その上には文字で「ヤン・ファン・エイクここにありき 1434」なんて書いちゃって、まるでデューラーみたいです。
が、残念ながらこの人、はっきりとした自画像を残していません。
限りなく自画像に近いと考えられる作品を残してはいますが、タイトルをはっきり自画像としていないため、世界初の自画像を描いた人の称号をもらい損ね、歌詞係としても顔が文字になってしまいました。
(私の調査によると、びじゅチューンでは肖像画のない人が歌詞係の場合、顔が文字になる法則があります)
限りなく自画像らしき絵がこちら。
歌詞係と激似www
ちゃんと顔を出しての歌詞係登場、とはなりませんでした。
「アルノルフィーニ夫妻像」は自分の絵の中に画家本人をを登場させる先駆け的な作品だそうですが、残念ながらちょっと自己主張が足りませんでした。惜しい!
年代で言うとデューラーより50年ほど前の作品ですね。
ヤン・ファン・エイクのように「顔が文字なヒト」は、歌詞係の一大ジャンルをなしており、また別にがっつりと扱う予定です。
さらに、「オレがオレが」ではなさそうだけれど画面に本人が複数登場してしまっている方。
「立体曼荼羅マスゲーム」の空海さんです。
作品の中にも空海、歌詞係も空海。
↓ちょっと「オレが」感が出ています。
最後はマスゲームにも参加!
曲のラスト、結果として空海祭りです。
これは空海上人が「オレがオレが」なのではなく、業績が偉大だったためにこのようになったと考えます。
この曲、内容も曲調も私は大好きです。
特にコーラスが入るとすごくオシャレ、機会があったら是非コーラスバージョンを聴いてみてください。
今回は「オレがオレが」な歌詞係、アルブレヒト・デューラーと関連のお二方のご紹介でした。