雨のなごりを歩く
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「写真を撮る」なかで、「深手を負って」しばらく撮れずにいた。
「傷」が癒えるには、長い時間がかかりそうだ。
しばらくぶりに、雨上がりに、撮りに出かけた。
やはり、こういうシチュエーションのほうが、「撮りたい」気持ちが素直に大きくなる。
やや高く上った太陽が、雨の残るウッドデッキに反射する。
ちょうど、強い風で落ちたであろう青もみじと重なる。
周りに木々の影も入って、いい感じになった。
一枚、こういうのが撮れるだけでいい。
こういう発見が、写真を撮ることと重なるのが、楽しいのだ。
最初から目を引くものなど相手にしても、凡庸だ。
凡庸は、身近にあるから、すぐに手に入れられる。それが主流になってしまうと、進化が無い。二番煎じでもある。つまらない。
なんでも「流行り」にして「主流」に担ぎ上げ、しばらくすると「ぽいっ」と棄てて、次を担ぎ上げる。…中身もない。
「雨」のあとに歩くのは、新鮮だ。
今、ガッツリと話せる何かを持っているか?