好きこそ物の上手なれ。
子供から教わったことは多いが、代表的なものはこれであろう。
ウチには2011年生まれの♂♀双子(2021年4月時点で小4)がいるが、もちろん好きなこと興味あることが全く異なる。
♀は本が好き、絵を描くのが好き。学校の図書館の常連になっているようだし、4コマ漫画は2年ほど前より時々描いている。
♂はとにかくいろんなことを知りたいようで図鑑を見たり自然科学についてよく質問してきたり、その類の本を買い与えると目を通している。
ウチは子供に習い事はさせていない。
ただ本に対する出費はけっこうなものだと思う。
(とはいえ習い事の月謝よりは安上がりと思うが)
塾や習い事の経営者には申し訳ないが、無理やり○○教室に通わせるのは結局親の価値観の押しつけでしかないのでは?と考える。
最近思うことなのだが、幼少期は「自分の好きなものは何か?」「自分は何者なのか?」を自分自身で探してもらう時期。言い換えれば自分自身を見つめる時期であるのかなぁと考える。
子供時代のあの長く感じられた時間はそのためにあるのではないかと今更ながら思う。
昨今、「自分の好きなことをすればいい」「好きなことを仕事にすればいい」などの論調が一定の支持を得ている。しかし我々、いわゆる団塊ジュニア世代が小さかった頃は個性よりも画一化が重んじられた時代、学歴至上主義の時代、腐ったミカンは弾き飛ばされるような時代だった。いい大学に入り一流企業に就職することばかりとらわれていて、「自分の好きなことは何か」を見つめる時間はあまりなかったように感じる。
もっと言うと団塊の世代、つまり今の後期高齢者は仕事人間が多く、昼間は仕事、夜は上司や同僚と飲みに行き、週末もヘタすりゃ接待ゴルフ。家庭も子育ても妻に任せきりもしくは押し付け。これといった趣味というものもなく、定年後も現役時代の武勇伝を語ることしか出来ない、ある意味可哀想な大人になってしまっているのではないだろうか。
そんな後期高齢者が今の日本をけん引してきたので否定はしないが、そういう価値観の中で生きてきた人々とは意見が合うわけがない。
「好きなこと」にはまた「のめりこみ易い」「夢中になれる」という性質もある。辛いことがあっても「好きだから」という理由で続けることが出来る。嫌いなことを強要されること程苦痛なものはないし、絶対に続かず途中で投げ出してしまう。
よってこれからの人生、どのような方向を進むべきかを考えるには、幼少期の時間がふさわしいのではないかというのが私の現時点での考えだ。有難いことにそれはウチの嫁さんも同意見のようだ。
自分自身も人生残り少なくなったとはいえ、平均寿命まであと30年近くある。先述のとおり、幼少期に自分のことをロクに見つめてこなかった人間だ。「残りの人生何をするか」という課題についてはまず「自分の好きなものは何か」を知ることが一番の近道なような気がする。今更ながら「己を知る」ことの重要性を感じている。
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