茅原実里の弟です。この度は姉がお世話になりました。
【悲報】タイトルをTwitterで募集した結果
2022年4月1日、声優・歌手、茅原実里は新たな道を歩み始めた。
前日にはホリプロインターナショナル退所でYahoo! ニュースを飾り、ファンが「ついにこのときが来たか……」と悲嘆に暮れたその翌日の12:00、ホームページを突然立ち上げ、続く15:00にはもう一発、禁断のお言葉を放り込んできた。
お知らせ。
茅原実里の「お知らせ」予告は、実は初めてではなかったか。
たいていは前振りもなく情報が襲いかかってくるのに、今度は21:00という絶妙な時刻に犯行予告だ。
で、開けてみれば、「本当のことをお話しします」ときた。
あふれるほどの嫌な予感を自分で煽りつつ、自ら打ち砕く。まさに自作自演の吊り橋効果。恐ろしい人だ。本当に恐ろしい人だ。ファンの感情をもてあそぶレベルにおいては、長与千種さんや北斗晶さんに匹敵するよ、ホント……。
ファンはなぜこんなに動揺したのか
3月31日から4月1日までの24時間にミノラーが味わったジェットコースターのような感覚については、一度説明が必要だろう。
さかのぼること9年、2013年の3月31日に、とんでもないニュースが流れた。
デビュー以来、茅原実里が所属していたAPD(エイベックス・プランニング&デベロップメント)を離脱。先だって同社を離れ独立し、業務委託契約で茅原実里を支えていたマネージャー・瀬野大介さんの会社、リンクアーツの助けを得ながら、個人事務所M-Peaceを立ち上げて活動を継続することになった。
同時に、デビュー時から綴り続けたブログ「minorhythm」は終了、2月時点で限定ライブで第6期の入会を受け付け、多くの人はその場で支払いを済ませたばかりの、ファンクラブ「m.s.s」も解散。
最後のブログ記事は、社長の事務的な言葉。
新しいブログ「Smile Days」のはじまりも、重い。
そして二度目の記事で、ようやく新たな一歩を。
なくなったファンクラブの行く末は4月24日になってわかる。
6月1日に「M-Smile」として誕生、入会受付は5月1日の19時から。
この5月1日、実は私がはじめて転職した会社の入社日だった。10時出社、19時退社の会社で、入社当日から早引きするわけにも行かず、クレジットカードを持っていき、帰りの浅草線の中で会員登録する気満々で出社したのだった。当時の自分の若さも出ているなあ……。
もうひとつ、「SUMMER DREAM」の開催が発表されたのもこの日だった。2009年から続いたライブが、名前を変えてもまだまだ続くというのは、ファンにとってはまさに希望そのもの。
振り返ってみれば事務所は変わっても、ファンクラブの運営会社はm.s.s時代と同じロム・シェアリングで、マネージャーもエイベックス時代と同じ瀬野さん。関係としてはほとんど変わっていない。もちろんランティスとの関係は継続で、新曲「この世界は僕らを待っていた」も無事リリースされ、何も煩うことはなかった。ニューアルバム「NEO FANTASIA」も、伝説となった両国国技館のクリスマスライブもあった。
どんな列車だってまっすぐばかり進むわけではなく、カーブも坂も、いくらでもあるのだ。これからもこんなことはあるだろうが、茅原実里なら大丈夫だ……
私はそんな気持ちでいた。
事実、みのりんはその期待に応えてくれた。2014年には「NEO FANTASIA」ツアーに加えベストアルバム「SANCTUARY」、そして日本武道館でのデビュー10周年記念ライブまで実現。
翌2015年のシンフォニックアルバム「Reincarnation」と同名のオーケストラコンサートは凄かった。奇跡だった。久しぶりに参加した加藤大祐さんのギターがネオクラシカルメタル的な輝きを放ち、音楽的にも円熟期に達していたのではないか。
バンドサウンドに振り切った先行シングル「恋」を経て、翌2016年には名盤「Innocent Age」をリリース。私の中の茅原実里は最高のシンガーとして輝いていた。
だがその裏で、茅原実里は戦っていた。苦しんでいた。彼女はそれでも進み続けた。
たとえ何を失っても、どこかへ向かって動き、繰り返し繰り返し軋みを立てながら、何本もの線路を乗り継いできた。
乗客はただ見守る。
窓の向こうに広がる暗闇の中を、駆け抜ける列車はどこへ向かうのか。乗客の一人一人は顔なじみであること、そして誰がこの列車を動かしているかだけは確かなまま。
足下も空気も何度も揺れ、そのたびに乗客は動揺した。
どれも4月1日前後のことだった。
4月1日はいつだって転機の日
2017年4月1日、業務提携していたリンクアーツとの提携を解消(公開は5月31日)、完全フリーへ。
2019年4月1日、ホリプロインターナショナル所属を発表
2021年4月2日、音楽活動休止を発表。
ファンクラブは同年6月末に終了し、同時に連動していたホームページも消滅。
2022年3月31日には、ホリプロ退所とブログ終了が綴られる。
同月のほかの記事と見比べると、この記事だけ文字サイズが小さいことがわかる。おそらく、Wordなどのエディタで文章を練った上、おそらくは各所推敲の上で貼り付けたのだろう(書式も一緒にコピペされているから、こういうのはすぐわかる)。
このテキストだけ、いままでの「ご報告」とは違うのだ。
本当の「ご報告」だったのだ。
声優業界は不定期に退所と入所が起こり、ときどき2月とか3月とか、意外な時期にも入れ替わるもので、その多くは予測がつかない。だいたい月末月初はそんな驚きがTwitterのタイムラインを占めるのだが、茅原実里はとことん律儀に、定期的に、4月1日を狙ってくる。
いやもう、狙っているとしか思えない。奇数年の4月は特に怪しかった!
その絶望の声を聴いてほしいんだ。
ほんと、この人は律儀だ。律儀だから予想してしまう。4月には何かあるんじゃないか、みのりんはまた何か嵐を起こすんじゃないか、と。
たまに4月をまたぐ案件があると、「お、これは大丈夫だなー」と思って胸をなでおろす。
2016年はアルバム「Innocent Age」プロモの真っ最中だったので、さすがに何もないだろうと思っていた。
2018年はCRAZY MANSION!!の千秋楽。FM-FUJI「茅原実里のミスサンシャイン」も4月4日から開始。なんだかんだでRadio minorhythm(昔からランティスで配信していたネットラジオ)も響に移転。
2020年の4月は正直心配していた。3月に、前述のRadio minorhythmの終了が発表され、音楽活動的にも音沙汰なかったためだ。
ただ、私の感覚では、2020年の3月で音楽活動終了なのだろうと思っていた。その発表がなかったのはむしろ意外だった。
というのも、2014年のベストアルバムから5年で、2枚目というペースは明らかに短いと感じていたから。1枚目のベストアルバムから代表曲をピックアップし、さらにディスク2にキャラソンまで詰めて体裁を維持した感のあるベストアルバムなんて、洋楽メタルバンドの移籍前ベストアルバムによくある形式じゃないか、と思っていた。
でもラストライブがZeppというのは本人もアレだろうし、ラストライブを告知しない運営ではないと思っていたから、河口湖か武道館、パシフィコ横浜でラストライブ実施、あとは誕生日の11月18日あたりの日程を相談……なんて計画しているのかな、と想像していた。
まあ、実際には、それ以上の出来事が起こるわけだが。
ともかく、こんな感じだ。
少なくとも私にとって、4月1日は身構える日であった。
I Want Out
今の茅原実里はフリーになって、またファンの思わぬ方向へ走り出した。
「アイドル声優」という看板を背負って過ごした時間を埋めるかのように、等身大の41歳、茅原実里は動き出す。
もう過度の期待を背負わされることもない。私自身も、みのりんに対する目線を変えなければいけないだろう。
私は今の茅原実里に何も期待していない。
あの人は期待しても答えてはくれないだろう。しかし、表現したい何かを紡いで、勝手に届けてくれる。それは、メタルと様式美に凝り固まった自分の心では受け止められないものかもしれないが、未知のもの、そして茅原実里自身が紡いだものであることには変わりない。
純白の女神はもういない。今の茅原実里が何を出してくれるのかを、見届けたい。