Minori Chihara the Last Liveにまつわる覚え書き

茅原実里のラストライブを現地で鑑賞してきた。
感動と言えばいいのだろうか、この気持ちは。

ライブレポートを書けばいいのか、それとも最後のライブを主観的に書けばいいのか、迷いながら書いている。
だがどっちに振ったところで、反対側に振りたくなることが出るのは常だから、気まぐれに書いていこう。
今回はあえて章立てもしない、そのまま書く。

なんとなく予想していたのは、「最後」感と未来志向にあふれるセットリストになるだろうということ。
Re:Contactの楽曲「Re:Contact」から想起される「Contact~詩人の旅」、同じく「Sing」に対する「Sing for you」は演奏しないはずがないし、むしろ意識的に関連づけられて演奏されるだろう。
「Re:Contact」からの三曲はストリングスがいて輝く楽曲で、そこだけはカルテットが入ってくれるんじゃないか。
ふと考えていたのは、「いつだって青空」~「everlasting」~「Sing for you」の流れ。「Sing」は本編から離れ、「純白サンクチュアリィ」とともにアンコールの最後を飾る。ついでに言うと、アンコールの一発目は「HYPER NEW WORLD」。ハッピーに終わらせに来る(というか、はにわ->MC->Sing->純白で感情を一気に揺るがしてくる)と思っていた。
当然、「Paradise Lost」や「TERMINATED」のようなクサメタルも後半に入れてくるだろう。最後のライブではありながら、できる限りめいっぱい盛り上げてくれるだろう。
CMBのインスト曲はここ数年既存曲ばかりだった。馬場ちゃんがハードロック調の新曲を入れてくれるのではないか?(ただし4拍子ではある)

こんなことを、言語化しないまでも考えていた。

セットリストはどこかで出てくるだろう。一度ここではおいておこう。
結果として、予想の多くは叶い、他はいい方向に裏切られた。ただひとつだけ儚く裏切られた予想がある。

一曲目、「Re:Contact」は「S.I.G.N.A.L」という言葉をかすがいに「Contact~詩人の旅」までつながった。うっすら想像はしていたけど、真っ向からつながるとは逆に予想していなかった。「Re:Contact」は自身に「Contact」的なイントロを内包する二段楽曲なので、再帰的に展開するのはやや冗長かなと思っていたため。
しかし、そこからの「too late? not late…」には痺れた。これぞ茅原実里! という展開だ。初期楽曲はいい意味で尖っていないため、空気が整う。

ここでアンコールがないことが明かされる。アンコールなしのライブといえばT.M.Revolutionだが、今回はアンコールが常であるアーティストのアンコールなし宣言。どうしても「一直線で歌いきる」という意図を感じざるをえない。そしてアニメソングの話を振りつつ、アニソンパートの三曲、「みちしるべ」「境界の彼方」「この世界は僕らを待っていた」へ。
ここは配信先であるアニマックスへの配慮もあるのだろう。ただ、ANIMAX MUSICでは「アニメミュージック」という不自然な言葉遣いを全アーティストが強いられていたように見受けられるが、普通に「アニメソング」と言っていた。
率直にいうと「みちしるべ」は苦しそうだった。2017年のBOUNENKAIがライブ初披露だった気がするが、そのときの不安定さが急に蘇ったかのようだった。しかしハンドマイクでしっかり歌いきった。そこからの「境界の彼方」で空気が変わる。音楽的にも「金字塔」と呼んでもよいほどのターニングポイントである楽曲で、応援する側にとってはドラムの緩急に合わせてサイリウムの振り方が変わってゆく、応援そのものが楽しい楽曲でもある。楽曲を聴きながら、そういえばUnlucky Morpheusの緩急も凄かったなあ……と思い出していた。

「キラキラ輝く、世界の時間」。収録されているシングル「Christmas Night」自体、楽曲陣も演奏陣もいままでの茅原実里楽曲と全く異なる、不思議なシングルだった。曲も歌詞もあらかじめ作ってあってアーティストをあとで決めた、映画タイアップの持ち込み案件かな? という疑念と、みのりんコラボカフェでの辛い体験が重なり、なかなか聴ききれなかったけど、楽曲としては上質ではあるんだ。ただ、英語の詰め込み方がちょっと事故っている感じがあって、通常の楽曲なら歌詞かディレクションでいい感じに調整してくれるんだろうなあ……と、制作時の苦労を思った。
それに続くのが「Dears~ゆるやかな奇跡~」。予想外の選曲ながら、「too late?」と同じように、全体にファーストアルバム「Contact」の香りを漂わせる展開にゾクゾクする。このセットリスト、完全に締めに来ているぞ、と感じざるをえない。
この感覚はメタル定番の「○○周年記念完全再現ライブ」とも違うものがある。そもそも「Re:Contact」という名前に釣られてしまうが、「Re:Contact」自体は「Contact」とは似ても似つかない。2019年までの茅原実里の凝縮版デモテープのようなもので、初期にあふれていたストリングス成分が意識的にカットされていて、それだけでは観客が「Re」できない。そのためにContactが使われるのだ。

続いて「いつだって青空」。この曲はバンドの持つ暖かさをめいっぱい増幅した、「NEO FANTASIA」~「Innocent Age」時代を締めくくるようなアルバム。先取りした話になるが、「Innocent Age」時代の楽曲は最後まで演奏されなかった。もともとが恋を描ききったアルバムで、ストーリー性が大きすぎて流れに挿入できなかったのと、初期志向のファンが多くライブ自体がファイナルであることを思えば、泣く泣く割愛せざるをえないのも分かる。いや、「恋」だけはどうしても聴きたかったな……。

演奏に見送られて茅原実里はステージを去る。弾ききったところで、聞き覚えのあるインストが響く。
忘れるはずはない。茅原実里ライブで初披露され、何度も何度もCDで聞き込み、渋谷O-EASTで再演されたCMBのプログレ楽曲たち! しかも、ロニー・ジェイムズ・ディオがDIOで何度も展開したようなメドレー形式!
どの曲も普通の人がリズムを取れるようなシンプルさはない。演奏で圧倒させてやる!という悪い大人の意地を感じる。
だからこそメタラーは食らいつきたくなる。限界まで、決めフレーズでサイリウムを振ってやる。俺たちだってスティックを持っているんだから、ミュージシャンと同じタイム感覚で、ただし光で演奏してやるんだ。初見でここまでやれるなら、オタク界のスティーヴ・ヴァイと呼んでほしいものだ。

……みたいな妄想を滾らせながらテンション爆上がりするのがメタラーの性。

CMB明けにまた爆上げタイムがやってくる。
「Dream Wonder Formation」~「TERMINATED」~「Paradise Lost」
いつもなら最終パートに持ってきてそのまま「Freedom Dreamer」になだれ込むような組み合わせを中盤で持ってきた。この時点でうっすらと終わりを自覚してしまう。もう、物語を締めるため準備が始まっているのだった。
「Dream Wonder Formation」はレーザー特効が輝く。しかも、時に動き時に止まるメリハリに溢れたもの。デジタルで緻密に計算されたスポットライトが、完璧なタイミングで茅原実里を射貫く。「Contact」から拡大したデジタルの渦が生み出したデジタルメタルですよ、これは。
「TERMINATED」「Paradise Lost」は、紛れもなくいつもの茅原実里。この「いつもの」というのがとても重要なのだ。今年の8月に終わってしまった河口湖ステラシアターでのライブのように、繰り返される様式美。アーティストとしてはそれだけ続けては新規ファンを取れないし本人も飽きちゃうから、新路線に行って既存ファンを引っ張り込もうとするんだけど、現実にはなかなか思うように行かない。しかし「新路線」に行くための原資は、「いつもの」パフォーマンスによって着実に高めた評価である。

MCは「はじまりの曲」の話。誰もが分かっている。歌い出す前、たぶんイントロの前に、会場全体がうっすらと、白く染まる。
「雪、無音、窓辺にて。」
長門有希を表現した棒立ちと無表情な歌唱から、徐々に動きが増え、そして茅原実里が、長門を食い破って現れる。そしてデジタルとストリングス全開の楽曲を生バンドが塗り替える。ストリングスソロはギターソロに置き換わり、聞き間違いでなければボリュームペダルを使った「バイオリン奏法」で弾いてなかったか……?
思い出したのはVan Halen「Cathedral」。あれは小指でボリュームを操作しながらのプレイだったが。

だが、ここで「a・b・y」がぶっ込まれたのはメタルすぎた。この曲についてはさんざん語り尽くしたが、それでも強烈すぎる。

ほぼ最古の楽曲の隣に最新曲を置き、感情を持たない「情報統合思念体によって作られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェース」が、人間の内臓が沸騰して爆発したかのような劇的な感情を歌い出す。
まるでオーバーフローでも発生したかのような激変ぶりには震えた。
そこから「君がくれたあの日」で殴るのは、もはや感情の暴力じゃありませんか?

気がついたのは
やがて今の痛みを流す 希望生まれる
気がついたのよ
約束さえ消えてしまうと それも始まりだと

茅原実里「君がくれたあの日」(Lyrics: 畑亜貴)

ここまで書いて気づいたが、先に歌われた「TERMINATED」は

オワリ ガ ハジマリ

茅原実里「TERMINATED」(Lyrics: 畑亜貴)

だ。
終わりも始まりも、ひとつの物語の円環構造の中で見れば隣り合うものだし、ひとつの終わりともうひとつの始まりは時系列的に接している。それはまさに永劫回帰なわけで、そのなかのひとつひとつに一喜一憂してもどうしようもない。

ここまで旗曲はなし。約束されたひとつの旗曲「FEEL YOUR FLAG」は「君がくれたあの日」の次に披露された。感情をボコボコにされた状態で「私を見送ってね!」とばかりに笑顔で旗振りするのはさらにメンタルに刺さって痛い。
旗振りレッスンなしの超難易度プレイ、正直六割くらいしか振れてなかったけど、旗振りで四苦八苦するのもライブならではの経験なので甘受した。そういえば「アイノウタ」や「Joyful Flower」の旗振りも地味に難しかったよなあ……なんて頭をよぎる。

アウトロでみのりんが後ろにはけたものだから、これは久しぶりのインスト二回かな? と思ったら、本人不在で「Voyager Train」のイントロが。このご時世に客席訪問はないよな? と思っていると、かすかに見えたみのりんが、消えた。スカートを踏んでこけたらしい。
それでも演奏は続くが、やがてケニーが×印を出して緩やかに止まった。

(´-`).。oO(ああ、またやったのか……)
数々の残念な仕草を見ていた茅原実里ファンは、この瞬間一致団結。

「Voyager Train」の歌詞は地味に切ない。歌っていた当時とは違う形で響いてくる。

さよなら
さよならなんて 一駅ごとに訪れ
時代を横切る意味は
誰も知らずただ進むよ

茅原実里「Voyager Train」(Lyrics: 畑亜貴)

列車の比喩は非常に有効で、一方向に進んでゆき、人が降りたり乗ってきたりするものを表すのに使える。それはまさに時間を具現化したものである。
乗る人、降りる人、どちらにも人格があり、強制的に下ろされることはほとんどない。しかし、乗るということは、どこかに連れて行かれるということでもある。それが期待しない地点であることも、しばしばある。

Mental wounds not healing
Life's a bitter shame
I'm going off the rails on a crazy train
I'm going off the rails on a crazy train

心の傷は癒えない
人生は苦々しい恥
狂った列車に乗って、俺は道を外していくんだ
狂った列車に乗って、俺は道を外していくんだ

Ozzy Osbourne「Crazy Train」(Lyrics:Bob Daisley / Ozzy Osbourne / Randy Rhoads)

それでも、ここまで茅原実里はやってきたのだ。彼女の旗に導かれた集団が、時に脱落し、時に復帰し、時に見捨て、時に拾い、時に迷い、最後に明かされた終着点が、神奈川県民ホールだった。
それは一本道とは言いがたい。どちらかといえば、急激な上昇と緩やかな下降、それに数個の脱線事故の積み重ねだった。

それでも、ここまで茅原実里はやってきたのだ。
そんなことを考えながら、次の曲が始まった。

「Everlasting…」
反則だと思った。まさか本当に来てしまうとは思わなかった。たまたま前日読んだ「Re:Contact」のパンフレットには、歌詞が出てこなくて感極まった風をした自分に腹が立って帰り道でずっと泣いていたという話が出てきた。
私が見に行ったParadeツアーの名古屋では「花束」でずっと泣きっぱなしだったのはよく覚えている。
Paradeは涙と直結しているかのようだ。いや、Paradeは、出会いと別れに直結している。

はじまりはみんな孤独な旅立ち
暗闇の中を歩く旅人
いつのまにか仲間が増えていたね
果てしない世界へ 歩いていく
パレードは終わらない 永遠に

茅原実里「Everlasting…」(Lyrics: こだまさおり)

みのりんも涙が止まらない。その中には、寂しさもあるし、うまくパフォーマンスできなかったことへの、ファンの知り得ない感情もあっただろう。
ファンにとっては、もう終わりが見えている。その終わりはライブの終わりであり、アーティストとしての終わり、そして「茅原実里ファン」として、アーティストとファンが共有できる時間の終わり。
茅原実里ファンは自然と訓練されていて、普段は青いサイリウムを振っているのだが、こういう静かな曲になると消灯してしまう。たぶん他アーティストだとここまでやることはないんじゃないかと思うのだが、それが定着していった世界だ。
ところが、彼女がもう歌えなくなったかと思ったところで、周囲でサイリウムが点灯し始めた。「がんばれー!」みたいな、コロナ前の野暮な言葉じゃない。だいたいそういう感情は頑張って押さえるものじゃないだろう。ともかく今ファンができることは限られていて、自然と思いついたのがそれだった。

温かい拍手の中、グランドピアノが運ばれてくる。バンマス・須藤賢一(ケニー)が、ふたりきりで演奏するのだ。
玉置浩二と同年齢のベテランミュージシャンと、きょう活動を終える声優アーティストが、ステージ上で向かい合う。年齢は二十歳以上違うが、ステージ上では「ケニー」と「みのりん」で呼び合い、最初期から演奏してきたふたり。一時メンバーチェンジで場を離れるも、戻ってからは不動のメンバーとしてCMBに君臨する。プログレッシブ・ロックに振り切ったその音楽性は、「声優アーティストのバックバンド」を、別個のモンスターバンドに変貌させた。まるで日本のキース・エマーソンのような存在である。

アイコンタクトとあうんの呼吸で「sing for you」「Sing」を歌いきった茅原実里は、偉大なミュージシャンに負けないシンガーだった。
ベテランばかりのバンドに放り込まれた時の「もっと頑張らなきゃ」感を10年以上続けてきたら、そりゃ成長するはずだと思った。文字通り切磋琢磨の歴史が、ステージに現出していた。

最後の曲は、たぶんこれしかなかった。
「純白サンクチュアリィ」。


私にとっての茅原実里との出会いは、「B'zファン」としての出会いだった。
大学時代にB'zファンの声優がいるというのが話題になり、そういえば……と「アニスパ!」を聞き返してみれば、茅原実里という声優がエイベックス枠でしゃべっていた。
B'zファンだった経緯からビーイング系音楽のマニアになった自分は、愛内里菜目当てでアニサマ2006に参加。すると「SOS団」がシークレットで出てきた! 振り返ればあれも茅原実里だった、なんてことに気づく。
で、Contactというアルバムが出て、そのツアーの最終公演チケットが電話販売で購入できる、ということだった。思い立って購入してすぐ、和田町のTSUTAYAに行き、CDをレンタルしてリッピングして数回聴いて、数日後にはステラボールへ。

ところで、当時は一度水樹奈々のライブに行ったことがあった。あのときは北島健二さんのギターを味わう目的もあった。
北島健二といえばFENCE OF DEFENSEだが、その前のTMNサポートメンバー時代に松本孝弘さんと演奏していて、二人でアルバムも出していた。そんなギタリストが歌唱力高い声優さんのバックで弾いているんだから……というわけだ。

で、ステラボールで、Contact最終公演に出会った。会場はまさにパンパン、中央は人でいっぱい、かろうじて左右に行けた程度。不慣れなサイリウムをポケットに入れて応援していた。
そのときのパフォーマンスに感銘を受けたと思う。よく覚えているのは物販の激烈さと、最後に降ってきた風船の空気を抜こうとして飛んで行ってしまったこと。

そこから思えば、こんなことになるとは想像もしていなかったというのが正直なところ。
ホールツアーの小さい会場を追いかけていくのかな? と思っていたら大ブレイクして、日本武道館に行くことになった。ファンクラブに入った時は、イベントで本人と握手できるのが嬉しかった(当然ながらB'zはそんなことできません)し、遠方の客を先に握手に誘導するなど、当時のマネージャーの瀬野さんがやっていたイベントの運営スタイルは、個人的にリスペクトしていて、後々の仕事にも生きた。

一番の転機は河口湖ステラシアター。
社会人一年目のサマキャン1は宿泊せずにとんぼ返り、荷物をお土産屋に預けてシャトルバスにダッシュ……という忙しい日程だったが、それで「BLOWIN'」を聞き逃したのがトラウマになり翌年は一泊、無事「ultra soul」を回収する。当時はひとりで参加していたから、時間は無限にあった。読書したり風景を眺めたり、何をしてもしなくても、特に何も言われない、本当に自由の場で、社会人になってから有給で取得するようになった「夏休み」そのものだった。
サマドリの頃からTwitterでメタル志向の友人が増えて、新たな楽しみ方ができるようになった。複数人で会場にたむろしてひたすら喋ることだ。テーマはメタルだったりみのりんだったり、とにかくこれで時間が溶けた。しばらく経つと宿もいっしょにして、酒とメタルに溺れるようになる。
この頃には転職して、ようやく夏休みが有休じゃなくなったのもよかったな。

サマドリ2-3の頃には、もうこのライブは永遠に続くものだと思っていた。本人も歳を取るし衰えるだろうが、それはファンも同じことだし、あえて、ここまで完璧にできあがった雰囲気を壊すことはないだろうと思っていた。例の騒動があっても、人間なんて時間が経てば忘れるものだし……。

その期待が崩壊したのが、今。
私たちは、茅原実里というアーティストが活動休止するというつらみと同時に、ファンが集まる場を喪失してしまったのだ。

この喪失感に耐えられるだろうか。正直なところなんともいえない。
茅原実里ファンは茅原実里現場以外では遭遇しない。メタラーだっておのおの好きなジャンルがあり、ときにそれらは相容れないのだ。年に一度さいたまスーパーアリーナのLOUD PARKだけが救いだった。
茅原実里ファンのメタラーネットワーク「メタラー系ミノラー」は、そんな感じで続き、LOUD PARKの2017年終了に伴い河口湖ステラシアター中心に活動を移し、2021年、茅原実里の活動休止に伴い、どこで会えるか分からなくなってきている。
特に、海外アーティストが来日しなくなり、現場自体が縮小している今では……。