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健くんごと。(アナミコン前編)

やっと部屋の中が片付いてきて、
気持ちも落ち着いて、書きたいことが言葉になってきた気がする。

三宅健くんの全国ツアー
"2024 Live Performance
Another me : The otherside
Presented by KEN MIYAKE"

が無事に終演しました。
今回、初めて複数の公演に参加し、遠征というものを経験しました。
とても良かった。遠征してよかった。何度も参加できてよかった。
チケット申し込みの段階では最後の東京公演3公演だけ申し込んでいたのだけど、ツアーが始まり、どうやらホールでのコンサートは東京での公演とは違いそうだぞ、ということで急遽一般チケットで大阪まで行ってきました。
ホールの大きさとアリーナの大きさの違い、演出の違い、感じることができて良かった。
そして同じ名がついたコンサートで違うものを魅せられる健くん、感服です。

さて、ここからは感想や考察を書いていこうと思います。
すべて、わたしの独断と偏見で書いていきます。
ちなみに、楽曲に関してとかダンスに関してはほぼ書いてません。ふわりと自分の感じた感覚について触れています。
集中して健くんの歌やダンサーさんのダンスを見ているのに、いざとなると、具体的な感想が出てこない。もっと知識があったら。。。



もはや固定化したのではないか、というペンライトを消灯する演出
過去2回のプピコンとアザサイコンは健くん自身から消灯のお願いがありましたが、今回のアナミコンでは事前の案内とモニターでのお願い。
どなたかが仰っていましたが、消灯していない所には声がかかったとか?
今回は2度の消灯タイムがあり、前回はその消灯の意味も考えてみたけど
今回はただただ光の演出のための消灯なのかなと思ったり。
でも、あんなにペンライトの輝きがキレイだと言ってくれる健くん、
冒頭でまっくらな中を歌うっていうのは、どんな気持ちなんだろう。
もはやライブではなく、お芝居やアートを観るような感覚なのだろうな。

コロナ禍で行われたV6のグルヴコンから、
健くんのコンサートは特効 “バンッ!” からの「キャーーーッ!!!」では始まらない。
コンサートやライブでは、ガンガン大きな音で音楽が鳴って、ドカンと爆発音とともにアイドルが飛び出してくる!みたいな経験をたくさんしてきたけど、
もう30年もやってるとそこを通り越して、観客の想像力を掻き立てる映像からスッと始まっていく。
それでもコンサートとして成立して、観客が大満足して帰っていくのは
それだけの双方の信頼感と、何よりも健くん自身の技術力の高さを物語っていると思う。

消灯から始まるOP映像は行きつ戻りつを繰り返す。
破壊されたり、再生されたりを繰り返す。
そして蝋燭にあかりが灯されて健くんが浮かび上がる。
この演出のために空調を止めて、その揺蕩う炎の揺らぎと不穏な音に神経を集中させる。それだけで、会場は一つになれる。

ダンサーさんの白い衣装がとても好きでした。
ふわりふわりと天使かな、と思いました。
この公演までドームやアザサイコンで激しいダンスと格好いいパフォーマンスを何度となく観てきたのでギャップというか。
余計に洗練されて際立って見えるというか。
ずっと同じダンサーさんがついてくれている意味というか。

“ 100CANDLE ” 
100本のろうそくではなく、無数の星々からなる星座をかたどった灯籠がくるくると回っていました。
ホールで上から観ていたとき、途中からオレンジのたくさんの灯りが客席の上を照らしていて、こちら側が100本のキャンドルになれたのかなと妄想。
暖かなオレンジの灯りが、健くんを囲んで照らし続けていけたら嬉しい。
そして最後に灯籠を消す仕草が、ファイナルで急に“頬にキスしている”ように見えて、一人でぎゅんと心臓を鷲掴みされてましたw 妄想バンザイ🙌

“ DROP ”
ペンライトを消灯していると声を出すことも憚られて、曲が終わるたびに拍手して次の曲を待つのだけど、アリーナでのDROPの照明には思わず声が出た。アザサイコンでもDROPの光の演出は最高で、でももっと立体的な自分自身もその中へ入り込んでいる没入感があった。アザサイコンは幸いにもアリーナ席で観ることが出来たんだけど、この光の演出は遠くから上から観ているほうが、私は好みみたい。様々な光が本当にすごくキレイで、そのラストにぽんっと上へ何かを投げ上げる振り付けがV6の曲を彷彿とさせた。
このシーン、オーラス後の記事に写真が載っていたのだけど、とびきり美しくて。また、私の見ていない角度、画角であったので新たな発見をしました。ここにも願いと祈りがある気がした。

“ iDOLING ”
曲間に何を感じるのか、その暗転した無音の余白に何を思うのかは
きっとその人その人の経験とか感覚で違ってくるのだと思う
お芝居の泣いたり笑ったりするタイミングがお客さんによって違うように。
お芝居は基本的に黙って観劇するものだけど、コンサートは声を出してもいい空間だから、まざまざといろんな感覚があるのだと思い知る。
今回のアナミコン。お芝居のようだ、と言われるように、その場のお客さんの空気を感じて間を調整しているように感じた。コンサートなのに長く音のない間がある。座席によっては舞台装置の動く音が聞こえるし、カーテンの演出はあえて閉める音を聞かせているし、その歩く早さテンポは同じように見えてきっとその時の健くんの気持ち次第なんだと思う。
会場の空気が落ち着くまで少し待つ、そんな風に、会場の空気を感じながら進行しているようにも感じられた。

今回のアナミコン、一番の衝撃を受けたのは iDOLING だったと思う。
途中、入れ換えてくる歌詞もそう。息継ぎもほぼできない中、めいっぱいに歌詞を詰め込んで歌う健くん。ホントすごい。 
まさに健くんのアイドルの歴史を記した楽曲なんだけど、そこに過去作を加えることで時間と経験と痛みが増している。この歌が発表されたときその歌詞が赤裸々で世間への皮肉が混じってることも話題になったけど、健くんはこれから先この重たい歴史と痛みを、歌うたびに背負い直していくのかと苦しくなった。
影を使った演出は、見る席によって見え方が変わってくるように思うのだけど、見るたびにダンサーさんの影の数が増えているように感じて、今の健くんの味方仲間が徐々に増えているんだなと一人思っていた。そして一緒に( )の中を歌っていると、それが健くんへの一番のラブソングにも感じられて、これから先も iDOLING を歌う度に一緒に( )の中を歌って、その背中の重荷を一緒に背負いたいと思った。

後編へつづく。。。

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