【S.S.C】「教育で幸せを紡ぐ」―阪大生・林田昂大の挑戦とは?【¥500】
『教育で幸せを紡ぐ』―聞きなれない響き。阪大生・林田昂大(はやしだ・あきひろ)さんは、その目標の実現のために信じられないくらいハイレベルで動いています。
学生応援インタビュー企画=S.S.C
みなさんは『教育』に対してどのような印象を抱いているでしょうか?
「受動的」「退屈」……そんなイメージがあってもおかしくないはず。「人が主体的になるように導く」って難しいように感じてしまいがち。
しかし、今回ご紹介する阪大生・林田昂大(はやしだ・あきひろ)さんは、そんな『教育』を軸に自身の活動を展開してきた大学生です。
まずはその活動の概要を年表形式でご覧いただきましょう。
▽これまでやってきたこと
・2016年
関西1回生コミュニティ創設(全4回実施)
教育イノベーター輩出PJ FEISの代表(1年間継続,その後代表育成)
・2017年
熊本県南小国町の後援でくまもと若者会議第2回開催
大阪大学1回生の必修授業カリキュラム設計
高校生が半年で認知症の解決策を実行するプログラムのメンター
・2018年
大阪市共催で1,2回生向けキャリアイベント統括
全国100名の高校生が集まるA doc. campのメンター
「ヨリアイ」創設
谷上ピッチにて上場企業代表取締役にピッチ
・2019年
関西ビジネス企画サークルAXIS創設,1年目から80名が加入
ヨリアイ発高校生キャンプを主催(yahoo!ニュース掲載、全2回開催中、香川に輩出された高校生プロジェクト「いろは」)
兵庫の私立高校にて新しく進学指導室を立ち上げ担当
西粟倉村訪問、6月より西粟倉村とコラボして共同企画の開催
カマコンにて「ヨリアイ」登壇
ローカルキャリアツアーを宮崎県日南市の協力のもと開催
西粟倉村と提携してローカルキャリアツアーの開催
CCC登壇
え……?多すぎない?
まさに「学生の枠の収まらない学生」といった活躍ぶり。その背景には、『教育で幸せを紡ぐ』『挑戦が生まれる文化と環境を作っていきたい』といった、林田さん自身のアツい想いがありました。
林田昴大(はやしだ・あきひろ)
熊本出身。母校が統廃合されるレベルの田舎で育つ。
大学1年生の頃から1000人以上の「挑戦したい人」と向き合い教育機会をつくる中で、「教育」とは幸せを最大化するものだと確信を持つようになる。とりわけ、何かを頑張りたい人が文化や環境に殺される現場を多く見る中で、幸せを感じるには挑戦できる文化と環境(=コミュニティ)の必要性を感じる。
究極としては、1人1人の幸せを最大化する教育には学校や塾だけではなく、「まち」というコミュニティ全体で教育をする状態が理想だと考えてている。そのためには、コミュニティ内に作り手に溢れた状態が望ましいと思い、その状態を作るために、「ヨリアイ」を創設。また、関西の市場で、ツクリテに変わる仕組みづくりとしての「関西AXIS」を創設。
『教育により幸せを紡ぐ』をテーマに、教育コンテンツの開発と組織/コミュニティづくりを一貫して行い続けている
今回はそんな林田さん(通称「リンダ」さん)の半生を大・大・大ボリュームのインタビュー記事でお届けします!
1.現在の活動は?
インタビュアー:コフンねこ
――よろしくお願いします!お互い遅刻しちゃいましたね(汗)
林田
「はい(笑)。僕どうしても低気圧に弱くて……コフンねこくんも弱い感じですか?低気圧に」
――多少行動が緩慢になります
林田
「そうなんだ……ってこれもう始まってるよね?」
――はい!早速本題に移らせていただきます。先ほどリストを見せていただいた通り、リンダさんってこれまで多方面で企画・運営等々にチャレンジしておられますよね。そこで改めて、現在の軸となる活動を教えてほしいです
林田
「現在は『ヨリアイ』と『関西ビジネス企画サークルAXIS』を創設して経営してます!これらは2つとも共通する理念で動いていて」
――共通する理念!?それって一体……?
林田
「「ツクリテ」を作るとか、「挑戦したい人が、文化や環境に潰されずに挑戦できるようにしたい」っていう思いです」
――ふむふむ、詳しく聞きたいです
林田
「まず、『ヨリアイ』は、「まちづくりの大衆化」=自分で主体的にまちをつくる「ツクリテ」が増えている状態をゴールに見据えています。そこから、『ツクリテをつくる』ということを理念にしています。ウケテの状態からツクリテになる状態に育てるような仕組みを作っているところです」
――なるほど!S.S.Cで最初にインタビューした黒川くんと一緒に挑戦していらっしゃる企画ですね
林田
「そうです!『ヨリアイ』は当初共同代表の黒川(こちらの記事を参照)と思い描いていた以上のスピードで成長し続けています。自治体やまちづくり会社とのコラボも具体的に進んできていて、かなり大きくなってますよ!」
――すごい。でも実は「AXIS」については全然知らなくて……教えてください!
林田
「関西AXISは大学1年生向けに『自分がやってみたいこと』の仮説検証の場となる”挑戦の入り口”を提供したくて始めた団体です。大学1年生期間って1つのターニングポイントになると思うんですよ」
――大学1年生って、まだ右も左もわからない印象が強いのですが……?
林田
「そう!そこなんです。そもそも日本の教育って、決められたレールに乗って行けばある程度のところまで行けてしまいますよね。でも、そこで流されてしまうのではなく、自分のスタンスを明確にしておくのが大事だと思っていて」
「そこで、1年生のうちから「主体的に何かを作っていく」経験が重要になってくる。後で詳しく話しますが、自分も1年生のときに「やりたい!」と思ったことをできたのがきっかけで今の自分があるので……」
――たしかに共通する要素として「ツクリテ」が挙げられるわけですね
林田
「それから、AXISでもローカル領域で活躍したいと考えている学生を探したいんです。地域活性化に取り組んでいる学生はそもそも母数が少なくて、なかなか表に出てきません。もしくは、さっきも言った通り「何かやりたい」と悩んでいる学生も多いはずで」
「その問題の解決のためには、「ビジネス」と銘打って間口を広げて、多方面から人を探していく必要があると考えています。その人たちがどんな価値観でどんな欲求を抱えて動いているかを知って、必要があれば運営側に参加してもらって……実はAXISを創設して団体経営をしている一番の理由はコレなんです」
2.どうしてそんなに活動的に?
林田さんみたいな人ってどうしてそんなに活動的なんでしょう?この章では、林田さんの少年時代にさかのぼってそのモチベーションを探ってみました。
――現在の活動のお話、濃かったです~~!!でもやっぱり、その原動力の部分って何なのかな?、と気になってしまいました。
林田
「根本の思いとして『教育で幸せを紡ぐ』というものがあって、とりわけ頑張りたい人にとって『挑戦が生まれる文化と環境』を作りたいってのが僕のモチベーションです。地元にはそういった文化と環境が無くて苦労した面があったので」
――苦労、ですか
林田
「そうですね。僕が生まれたのは熊本の人口6,000人くらいの町で、市内でもかなり田舎と言われるような場所でした。言い方が悪いかもしれませんけど、僕にとってはある意味そこでの学校生活がすごくつらいものだったので」
「端的に言えば、すごく『死にたい』とさえ思ってましたよ」
――ええ!?どうしてそんなに思い詰めてしまったんですか??
林田
「まず、自分が自分でいられなかったんです。周りより勉強が好きだったので、よく『ガリ勉』とか『そんなに頑張んなくても良くない?』とか言われていました。そう言われないように、「どうやったら周りから嫌われない良い人でいられるかな?」と考えたりもして」
――中学生にして生活の中で演技を強いられた、と
林田
「まさにそんな感じですね。自分の思うように動けない中で、中学1年生のとき、あることをきっかけに大きく体調を壊してしまって、次第に心も壊れちゃいました。病院通いだったり中学に行けなかったりがずっと続いて、家のベットでブラインドから漏れる光を眺めて『死にたいな。でも死ぬこともできないな』って感じる日々が続き……」
――壮絶すぎる……
林田
「そこで一つ決意しました。『熊本県内で一番偏差値の高い高校に行こう』って」
――似たような考え方の人たちが集まっていれば『挑戦が生まれる文化と環境』があるんじゃないか、と考えた面もあったり……?
林田
「そうですね。でもこれってとんでもない挑戦だったんですよ。熊本県で一番の高校は熊本市内にあるのですが、僕の住んでいた町はいわゆる『学区外』になってしまいます。学区外からの合格予定者数はわずか13人。必死で勉強してなんとか合格をつかみ取りました」
「するとその高校では、これまでの中学生活とは全く違った生き方ができました。自由がありつつ、本気で話せる友だちがいた。勉強の話をしても嫌がられないし、のびのび生きているヤツも多かった。僕が求めていたのはそういう雰囲気の環境だったんだなって、改めて自覚できたんです」
――リンダさんの目標に、そんな背景があったとは……。次に大阪大学を目指すようになったのも、『挑戦が生まれる文化と環境』を求めてのことだったのでしょうか?
林田
「実を言うと、自分が目指していたのは別の大学でした。阪大には今は亡き後期試験で合格したんですよ。大阪大学も素晴らしい大学だから今は感謝していますが、当時は正直浪人しようかめっちゃ迷ってました。でも、高校の恩師から『林田は浪人に使う1年を留学とか編入とか、別のことに使うべきだ』と言われて、「たしかに……」と」
――先生の言葉が大きな決断のきっかけとなったんですね
林田
「色々悩んだ結果、「阪大に入った自分の選択を正解にする方がいい」と思い始めました。そしてもう一つ、高校時代から留学や学生団体の創設を経験していた同級生に出会えたのも衝撃でした。「こんなことが地方高校でもできるんだ」って。そこから、「社会になにかしてみたい!自分も高校のときからやれたはずだったんだ!」と気づき始めました」
「ただ、地元を思い返したときに、地元でチャレンジするのは厳しいものがあったなと気づいてしまって。そんなふうに挑戦できる文化と環境は地元にはなかったし、あったとしてもアクセスできなかった。そこから、『もっと挑戦してみたい人に「教育」が届くようになれば』と強烈に感じるようになったんです」
――じゃあホントに大学1年生の最初の時期から想いが固まっていたわけですか……!
林田
「今よりだいぶフワッとした感じでしたけどね(苦笑)。そこからはAIESECっていう海外インターン事業を行う団体に参加して1年生ながら研修生のメンターをさせてもらったり、夏以降は「FEIS」っていう教育イノベーターを育成する企画団体で教育イノベーターたる准教授や企業執行役員のもと代表を担当させてもらったり……ってな感じです。もちろん今と比べたら何もできない林田くんだったんですけど……」
――はぇー……(←1年生のとき遊びまくっていた人)
林田
「共通して言えるのは『やりたい!』と思った時に本当に挑戦させてもらえたことです。応援される文化がそこにあったと言うか。でもやっぱり、どうしても『熊本時代にはそれができただろうか……?』とも思ってしまい……」
「挑戦しようと思うタネも挑戦しようと思える風土も無かったら何もできないよな~と。そこで、『挑戦できる環境や文化を自分が作っていきたい』との想いを抱き始めます。そこからは自分自身がチャレンジしまくりました。一時期に5プロジェクトくらい廻していたこともあります(笑)」
――本当に大学1年生の頃の話なんですか……?
林田
「まあ、今思うと本当にダメダメだったなと。大学2年生の夏にFEISの代表を降りたとき、『林田、お前はリーダーじゃない』って言われちゃったんですよ。これはマジで衝撃的でした。自分の頑張りをすべて否定された感じが、どうしてもしてしまって……今ならそう言われた理由もわかるんですけど、当時は未熟だったもので(笑)」
――そこまでバリバリ活躍したのに、リーダーじゃない!?
林田
「ただ闇雲に頑張ることに限界を感じていたのは事実だったから、何が悪かったのかもなんとなくわかっていました。そこからは本当に闇を模索する状態です」
――……もう一回立ち上がるのって難しいのではないでしょうか?
林田
「でも、そのタイミングである先輩と出会えたのが転機になりました。その先輩のススメでとあるピッチイベントに登壇したら、自分がこれからやりたいことや、そのための手段の一つ一つが段階的にわかってきたんです。先輩のような1歩2歩先のモデルがいてくれたことがどんなにありがたかったか……」
――そのエピソード、「ツクリテを作る」にも関わってきそうな感じがします。で、そこからは順風満帆に進んでいけるようになったんでしょうか
林田
「そう甘くないんですよ……大学3年生の夏、中学以来人生2度目の大変な状況になってしまいまして……」
――なぜですか!?
林田
「任せてもらったプロジェクトが全然進まなかった。これは100%自分が悪かったんですけど。そこからどんどん歯車が狂ってしまいました。またそこで先輩が助けてくれました。何度も話してくれて、例のピッチイベントの運営をやってみたりして……いわば「リハビリ」ですよね」
「また頑張れる空気感というか、そういった原動力を周囲の人に作ってもらえたおかげでまた前を向くことができました。そのタイミングで出会ったのが今自分と一緒にヨリアイの共同代表をやっている黒川慎一朗くんです。彼は……」
(以下有料部分に続く……)
3.なぜ「教育」を追求し続けるのか
大学入学以降様々な活動に幅広く取り組んでいる林田さんですが、『教育』の軸はこれまで全くブレていません。すべては、『教育で幸せを紡ぐ』という個人の欲求のために。なぜそれほどまでに『教育』へのこだわりがあるのでしょうか。
――僕は一つ気になっていることがあるんです。多方面に活動の幅を広げたり、色々な人と出会う中で、どうして『教育』に挑み続ける姿勢が変わっていないのかな?って
林田
「まず、自分自身『教育者であること』が最も幸せなんですよ。大学1年生の夏にAIESECで海外インターンの※メンターをした時に、相手の方と徹底的に向き合った結果『林田くんがいてくれたから頑張れた』って言ってもらえました。すごくうれしかったし、その縁がもとで今でもちょくちょく飲みにでかけてます」
※メンター…仕事上(または人生)の指導者、助言者の意味。メンターは、キャリア形成をはじめ生活上のさまざまな悩み相談を受けながら、育成にあたる(ビジネス用語集より)
「もう一つ忘れられないのが、自分が代表を務めていたFEISのイベントで企画の設計と実行を担当したときのことです。自分と仲間が作った場所で、「自分の力でグッと伸びる参加者」を外から見れたのがめちゃくちゃ幸せでした」
――それに加えて、高校の先生や『理念ピッチ』に誘ってくれた先輩など、周りの人が自分を導いてくれた…みたいな経験もありましたよね
林田
「それで言うと、『頑張れるって才能だよ』と声をかけてくれた人の存在や、ある時に『林田は脆さがあるっていう強さを持ってるから、応援したり一緒に挑みたくなるんだよね』と言われたりとか……そういう「言葉」にも救われました」
――自分がある人を導くことができた経験、そして周りの人に導いてもらった経験。まさに『教育で幸せが紡がれている』感じがします
林田
「本当に幸せです。自慢じゃないですが、自分は結構「あのときのリンダがいなかったら今の自分はいない」と言われることがこれまでに結構あります。その瞬間は「マジで自分生きてるな~」って実感できるんですよ」
「何もわからなかったはずの1年生がAXISで毎週新しいアイデアを生み出したりとか、ヨリアイのおかげで今の自分があるって言ってくれる人がいたりとか……感動します。「大学に入ってからずっと教育者でいれてよかったし、これからも教育者であり続けよう」と思うんです」
4.林田流の哲学=「欲求を自覚せよ」
これまで何度か「欲求」というキーワードが出てきています。「欲求」と言えば、睡眠欲とか食欲とか……そんなコトを連想しがちですが、林田さんの言う「欲求」とは?
――リンダさん、随所で「欲求」っていう言葉を使われてましたよね。それってなんですか……?
林田
「言葉で説明するの超難しいです(笑)。実は去年くらいから『人は自分自身の欲求に従って生きている』って考え方に行きついていて……」
――えっと……?どういうことでしょう?
林田
「要は『自分が幸せだったり、パフォーマンスが高いなって思える状態をよくよく客観視できている』ほうが、生きていく上で重要なんじゃないかな?ってことですね。どうすれば自分の想いが満たされるのかわかっていれば、動き出しやすいと思うんです」
――「自分を客観視する」ですか……難しい……
林田
「どうやって自分の欲求に気づくかは自分次第です。もちろん自分で気づくこともあるし、周りの人の応援が気づかせてくれることもあるんじゃないでしょうか」
「例えば『教育者として幸せを紡ぎたい』という欲求があるとしても、自分は常に頑張っているわけでは無いんです。それは、「漫画を読みたい」「しっかり寝たい」って欲求があったりもするんですけどね(笑)」
――大事なことは、欲求のバランスを取って生きることなんですか?
林田
「自分自身の欲求を知って、それをうまく整理しつつ実際の生活や行動にどう反映させていくかが大事になってくると思ってます。そうすれば、『挑戦を継続できる環境』を自分自身でも整えることができるはずです!」
ココから先は有料です
※ここからは2.から続いて、『林田さんと黒川さんの出会い~ヨリアイ創設』までの裏話が始まります※
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5.「ヨリアイ」誕生秘話
※ここからは2.から続いて、『林田さんと黒川さんの出会い~ヨリアイ創設』までの裏話が始まります※
林田
「そのタイミングで出会ったのが、今自分と一緒にヨリアイの共同代表をやっている黒川慎一朗くんです。彼は……
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