2023.08.08 捨てられたコトバと確かなイカリ
駅のトイレで用を済まして、洗面台で手を洗おうと少しだけ背中をまるめて目線を落とすと、鏡の前の台に名刺ほどの一枚の紙が置いてあった。
そこには青いマジックペンで
「健康保険証の
廃止反対!」
とぎりぎり読める文字で書いてあった。
ちらっとみてやり過ごそうとしたが、ふとそこに確かにあった誰かの怒りを感じた。
その言葉は頭で考えられたものではなく、イメージから来る反射的な不安や恐怖の応答として、染みこみやすい不特定の多数のコトバのように思える。形だけのそのコトバは、数多ある駅のトイレのうち、このトイレに捨てられている。意図をもってこの紙切れを置いていったかわからないが、誰も見向きもしないだろうし、見たとしても手を洗い流す水と共に忘れさられるだろう。
だが、誰かがこの無意味とも言えるコトバを、何の結果も生まないことが明白であるにも関わらず、意図をもってこの紙切れに書き出したのは事実だ。
誰かは言葉を書き出したかったのだ。その行為だけが目的であり、コトバの意味や書き出した紙切れの行方などはどうでもいいのだ。原初的な動機で書き出したのだ。怒りを前に行為をせざるを得なかったのだ。
ただ、この怒りは真に自分の身体から湧き出たものではないだろう。日々延々と繰り返される生活の中、自分だけが老いていく将来の不安、これまで生きてきた中でこれだけのことをしてきたと思い込み続けている自分への欺瞞。それが1つの政治問題を一切合切の受け皿と盲信し、怒りをぶつけているだけなのだろう。いや、そういうフリであることを頭ではわかっていながら、自分に対して演じているかもしれない。演じられたイカリを書く行為によって、身体に刻みつける。刻み付けられた傷の痛みに慣れた頃、コトバが言葉となり、イカリが怒りとなるのだろう。虚構が現実となり、現実が虚構となる。それに気づかぬうちにその怒りは消え失せていくのだろう。
しばらく紙切れに書かれたマジックペンの文字を見つめていると、インクが少しずつ滲み始めてきた。滲んできたインクが紙の上で水たまりをつくり、台から流れ出し、洗面台の中の排水口に落ちて行った。
私は急いでその紙切れを片手で丸め、床にたたきつけ、トイレを後にした。手には少しだけ青いインクが付いたが、すぐに服でぬぐい取った。
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