"病人"を自己像にしたくならないように、治療や支援をしたいのだった /障害受容日記#9



Who are you? ー あなたは誰ですか?
What do you do? ー 普段何をしていますか? から転じて、お仕事は?

この問いに、あなたは・私は・あのひとは、どう答えるだろうか。


I am a high school student. 高校生です。
I am a nurse in Emergency-Room. 救急外来の看護師です。
I am a manager of Customer-Success department. 営業部長です。
I am a mother of two boys. 2児の母です。
I am an amateur runner. 趣味で走っています。


… I am a schizophrenia ??  統合失調症です。??
… I am an ADHD ??  注意欠如多動性障害です。??
そんなわけはなかろう。
でも、ネット空間では、疾患名をアイデンティティにしようとしている人をよく見かける気がする。後者は特にだ。

何かのサービスの集客を目的として、疾患名を名乗りに使用するのかもしれない。その疾患名は医療機関にかかって言われたのではなく、巷にあふれる自己診断ツールをやってみただけのことなのかもしれない。
それでもだ。

わざわざ疾患名を名乗りに使いたいと思うきっかけには、何かしら大きく自信を失うような出来事があったのだろう。
自分が元来持っている役割や個性よりも、疾患名を名乗りたいと思うほどに。


日々起こる思い通りにいかないこと、思い通りに動かない自分を、すべて疾患や障害のせいにできたら、どんなに楽だろうか。
「自分は障害者だから、うまくいかなくても仕方ない」「障害を持ってしまった以上、自分には変えられない」

本当にそうだろうか。


他の人と同じレベルにできるように努力しろとは思っていない。
無理なもんは無理。完璧主義は手放したほうが楽っぽい。
でも、「私には障害があるから」をアイデンティティにして欲しくない。


障害があろうとなかろうと、「私はOOが好きな人です」「私はXXを叶えたい人です」と、感性や夢や野望を語ってほしい。
感性や夢や野望を語る人であふれる社会に住みたい。


人生はトラウマに溢れている。
他人はコントロールできず、いつも誤解は生まれて、とばっちりもくらう。
けれど、理想的にいかない出来事をいちいち疾患モデルで捉えて、障がいのせいにしようとするのは、もうやめにしたい。


疾患や障害が生じたとき、疾患や障害の大変さに心がくじけて、元来持っていたアイデンティティ・その人らしさを構成する要素を取り下げることをしないでほしい。
ひととき打ちひしがれることがあっても、夢や野望を語りつづけられるような土台が崩れないようであってほしい。

だから、私は「本人の考える自己像のなかの "病人" を大きくしないような支援」をしたい。そのためにたくさん勉強して、エビデンスも先例もたくさん見たなかで、一人称に向き合い続けていきたい。
「再現性があるかどうかはわからないけど、自分は良いと思って」などと逃げるのは、知識も経験もないからだ。当然責任も取らない。
「専門家としては、これらが今時点のあなたにいちばん良い選択肢だと思うけど、実際どうするかはあなたと一緒に決めます。決めたら一緒にやっていきましょう、どんとこいです」と自信を持って言える人になりたい。当然やってみた結果を一緒に受け止め、責任を持って伴走していく。

そんな難しそうなことを、涼しい顔でさらっとやってのける カッコイイ専門家になりたくて、病棟で勉強することを選んだ。

医師としての職業適性のなさは日々感じている。
オペ室でスムーズに会話することはできないし、当直帯に呼び出されて起きてすぐにクリアな判断をすることは難しい。
苦手なことは申告しながらも、「障害があるからできません」と心のなかで言い訳しないようにやっている。
日々不甲斐なさに打ちひしがれるし、とばっちりに心折れるけれども、
このアバターに生まれたのなら乗りこなして楽しんでやろうと思って日々生きている。


楽しむために生まれてきたかはわからないけれど、
最終的には何でも楽しんでしまうマインドでいたい。
悲しみや悔しさも味わい尽くして。





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