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神は意味づけに宿る


"その人らしさ” は、できごとから意味を抽出する過程に宿る、と思う。
これまでの出来事を振り返るワークショップをつくり、同じものに向かって時間を共有してきたチームのメンバーと取り組むとき、全く違う言葉が出てきて驚く。

現実をそのまま受け取り、圧縮も濃縮もせずに保存し、並べて出すだけならコンピュータのほうが圧倒的に得意なのだ。

人の興味関心やストーリーによって作られたフィルターを通して現実の一部を切り取って収穫し、得体も知れぬ調理器具や香辛料で魔改造して、適当に思われる皿に載せて出される「出来事の意味づけ」は、どうにもコピーできない味わいがある。


世界中で私しか到達し得ない "真実" なんてものは存在しないし、
世界中で私にしかできない “私らしい行動” もほぼ存在できないのだろうが、

もし 世界中で私しか到達し得ない "私らしさ" が存在するのならば、
それは "意味づけ" の中に在るのだろう。

「これまで歩んできた時間のなかにあった出来事たちを、あなたはどう “意味づけ” て、ストーリーを行きてゆくのですか? 」という問いの、
随時更新されて一瞬たりとも同じ形になれない、回答だ。


そうです、私はそれを聴くのが好きで好きでたまらなくて、今ここにいる。




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