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血塗られた検察の歴史(荻野富士夫『思想検事』レビュー)

 少し前に読んだ新書『思想検事』(荻野富士夫著)が、地味に面白かったのでレビューを書いてみた。自分は官僚制の硬直性と非人間性を憎みながら、同時にそれに萌えている部分があるので(きもい)、興味深く読めた。


特高警察と並ぶ闇の検察

 戦前の治安維持法が猛威を奮っていた時代の特高(特別高等)警察についてはよく知られている。政府に批判的な考えを持っている「うたがい」のある人物を捕まえ、取り調べと称して拷問していく軍国主義時代の暗いシンボルである。
 しかし、治安維持法が法律として機能するためには、警察だけでは不十分である。なぜなら、そこには捜査を引き継ぎ、起訴するかどうかを決定する「検察」という機関があり、また裁判があるからである。

 そして、このような治安維持体制のもと、「思想事件」に関わった(とされる)人物の取り調べを専門とする検察官として、「思想検事」が置かれるようになった。著者によれば、この思想検事こそ、戦前・戦中の治安維持体制において、特高警察と双璧をなす存在だったのだという。

 彼らは実務の中で治安維持法を拡大解釈し、また思想事件に関する保護観察制度や予防拘禁など、次々と制度の適用対象を拡大していく。そしてそれは、特高警察との勢力争いの中で、より優位に立つための方策でもあった。

 彼ら思想検事は、単に思想事件を淡々と処理するという中立的な法治国家の理念のもとに動いていたわけではない。「天皇陛下の検察官」「国体護持の検察官」といった意識のもと、「思想司法」を牽引する存在を目指したのである。
 たとえば太平洋戦争中、司法実務家の会合では「検察は、軍が外敵より国体を擁護する使命を有すると同一の使命を、国内において有しているのである」といった内容が、堂々と語られている。軍と検察の違いは「サーベルを吊っているかどうかの違い」なのだという発言もあったという。なんという思い上がりというか、勘違いなのか。

裁判所も人権を守らない

 ちなみに、このように治安維持法(の拡大解釈)を武器とした警察・検察の暴走の中で、裁判所が何をしていたのかというと、おおむね検察の起訴内容の通りに判決を下していった。他の事件はともかく、こと「思想司法」体制のもとでは、彼らは一枚岩だったという。

 ある思想事件を担当した裁判長は、思想事件を取り扱うにあたっては「敵の陣営と味方の陣営と全く別れる」ゆえに、「刑務所、裁判所、検事局、警視庁皆一面に国家権力を発動して之に当たることが必要である」(宮城実)などと述べている。もちろん、ここでの「敵」とは「思想犯=被告」である。

 また、一つ興味深い話を付け足すと、当時の検察を始めとした法務部門を担当していた行政部局は「司法省」という。普通、戦後の感覚では「司法」といえば裁判所を指し、三権分立の中で独立した地位を占めているが、この時期はそうではなかった。より正確にいえば、「裁判本体については」独立していたが、「予算と人事に関しては」行政府である司法省が決めていたのである。これで裁判所に独立性があるといえるのか、よくわからない。

 ともかく、このように国家権力が一体となった姿のもと、思想司法は歯止めを失って暴走していく。そして、その中核を担ったのが、当時の司法省においても中心に位置していた検察官なのである。

戦後にも連なる治安維持体制

 さらに、特筆すべきことは戦後の処理である。一般的には、「1945年8月15日を境として日本は敗戦を迎え、そして戦後民主主義体制に移行していった」と認識されているが、当然ながらその変化は一日にして起こらない。日本政府は、戦争に敗北してもなお、治安維持法や特高警察を廃止する意思を持たなかった。それが可能だと思っていなかったのである。

 結局、GHQによる「人権指令」が10月4日に発令されたことで、治安維持法や特高警察は息の根を止められたが、敗戦から人権指令までの間に、治安維持法事件として有罪が言い渡された横浜事件のスピード判決や、評論家の三木清の獄中死などがあった。

 では、思想検事はどうだったか。実は、思想検事は人権指令における解体の対象とはなっていなかった。もちろん、治安維持法と特高警察が解体されたことで、事実上その任務は終わるのだが、どうやらGHQからは目を付けられていなかったようである。

 その後、公職追放で思想検事の責任者は追放されるものの、現場で実務を担った関係者はそのまま検察に残留した。さらに、公職追放自体も後に解除されるので、結局はこの軍国主義体制における治安維持関係者は、戦後も堂々と現場に居座ったのである。
 そのもっとも顕著な例が、思想検事の第一人者である池田克である。彼は公職追放が解除された後、なんと最高裁判所の裁判官になっている。また、法務省の外局である公安調査庁の立ち上げにも思想検事出身者が深く関わっているほか、戦後は「公安検察」と呼ばれる担当が新たに生まれ、政治事件の取り調べなどを担っている(ちなみに、特定の思想監視を目的とする公安調査庁の長官は歴代、検察出身者が担当している)。

 このように、戦前と戦後の政治システムを別物とする一般的な認識に反して、実は戦前の治安維持体制が、地下水脈のように戦後につながっていることは、強調してもしすぎることはないと思われる。「戦後民主主義」の言葉の裏にはこのような暗部があるし、「戦前に戻してはいけない」という表現は、その有効性と同時に見過ごすものもあるだろうとも思う。僕たちは、今でも大日本帝国の呪いの解けない国で暮らしているのだ。

(余談だが、公安警察はもちろん、入国管理局に関してもそのルーツは戦前の治安維持体制における内務省警保局にある



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