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自然薯

当初、漱石は昔の日本人のように自然=じねん(「じねん」は自分と自然が一体化した状態)という概念を持っていた。その後の文明開花で、多くの日本人は、自然(じねん)観を後退させ、漱石も「ネイチャー」と言う英語を自然=しぜんと訳して対象化し、自分と自然を切り離すようになった。だが漱石は晩年になって再び、「則天去私」と言う「自然=じねん」観に近い考え方へと向かった。



則天去私は横に置いておき、自分と自然が一体化した状態を指す「じねん」に違和感を覚える。それはあたかも、元々に別れていた状態を非二元論的に捉え直している様に見えるからだ。人間はそもそもに自然物である。

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