小春日和に老若 -俺版-
東京は令和6年3月20日。気温20度を超えた。
坂道をの上ると汗ばむくらいだ。
公園では、親子が野球やサッカーをやっている。ひと頃、サッカーが人気で野球をやっている子供は少なくなったが、大谷翔平効果で野球人気は復活してきている。
子供たちは楽しげだ、小川に葉っぱを流して追いかける子、親にじゃれつく子。みんな笑顔だ。将来の不安などみじんもないような笑顔だ。
私も子供が小さかった頃は、小春日和に、公園で子供と遊んだ。その子らも今は大きくなってしまった。
公園の周りの道を年寄りが散歩している。歩いている人、走っている人。そして犬を連れている人が多い。不思議なもので猫は全く散歩しない。犬はオオカミから人間に好かれるように進化を遂げたという。私は猫も犬も飼っていない。猫好きの人から聞くと猫は違うようだ。猫は、奔放でおもねらないところが良いのだそうだ。
1日1万歩歩くと健康に効果があるとか、心肺機能に負荷をかけるきつい運動をある程度すると寿命が延びるとか言われる。年寄りは、それを信じて、歩く。走る。
私は、年寄りに近い年齢になった。一人で歩いている。
年寄りの顔には、明るさがない。私の顔にもないだろう。これからいいことがあると思えない。もちろん、いいことは自分で作っていかないといけない。楽しいことがない中、楽しいことを作るのが年を取るということかもしれない。
年を取ると不安でいっぱいになる。不安にならない人もいるようだが、私は不安になる。健康は衰え、楽しみはなくなり、貯えもない、仕事もない。あるのは不安だけ。
子供のように将来のことを考えず、今のちょっとした楽しみに100%注中出来ない者だろうか。
90歳でも元気に農業をやっている人が結構いると語っている人がいた。そういう話はニュースでたまに見る。本当にそうだろうか。90歳ともなると、目は見えない、耳は聞こえない。歩くのも大変。そんななかの雨量をやっていることは立派なことだ。だが、生きていくことはきっとしんどいと思う。
70歳でも80歳でもマラソンを完走する人がいる。健康や体力は年齢とは関係ないこともだんだんわかってきた。欲しいのは楽しさだ。
せっかくの小春日和。年寄りにはそんなに楽しくもない。子供らの笑顔が救いだ。春よ、年寄りに楽しさを持ってこい。