未来に残したいもの
2022.06.21
どこをみて仕事をしているか、よくわかる。
少なくともこっち(国民)はみてない。
平たく言うと、ないがしろにされているし、なめられていると感じる。
この回答を見てもよくわかる。
草むしり
きょうは比較的涼しかったので、午前中のうちに、庭の草むしりをした。そう言えば、現在発売中の『猫びより』の連載「猫のいる家に帰りたい」は、草むしりの話だ。ぜひ。
《庭の草むしりをしてる 夏場だけ猫の額は案外広い》
FUTURESCAPEその後
そう言えば、まだアプリのradikoだと聴けるみたい。
なんかradikoのタイムフリーのシステム、こんな感じらしいんだけど、よくわからんよな。
先日出演したFUTURESCAPEを聴いた人からは、褒められることが多い。
さっき聴き直したけど、少しずつ問いとずれている回答とか、「幸福前借り理論」の話のときには短歌を諳んじればよかった……とか、反省はある。
よかった、と言われるのは、聞き手が上手だったからだと思う。
いま思い出したけど、原稿の段階で「未来に残したいものはなんですか」という項目があって、その内容は、直前の打ち合わせでも確認されたんだけど、本番で僕が余計なことをたくさん話したからか、この質問はされなかったな……。
せっかく回答を作っていたから、載せておこうかな。
ややしゃらくさいから聞かれなくてよかった。
短歌連作
きょう、草むしりをしながら考えていたことを、書きます。
とりとめもないので、流し読んでね。
最近、複数の人に「短歌の賞に応募してみれば?」と言われた。それぞれ言ってくれた理由は異なるのだけれど「賞か……」と、少し考えてみた。
ふと「いま考えている『猫の挽歌』を連作にして応募したらどうだろうか?」と思ったけど、未発表作品じゃないからダメじゃん。そのテーマをこれから新作で連作にして編むのは、もうなんか「抜け殻みたいな作品」になりそう。
……と、ここまで考えて、気づいたのだ。
連作って「よし、このテーマで連作を作るぞ!」って作り始めるか、もしくはすでに存在している短歌を並び替えたり、付け加えたりしながら作るってことだ。
俺、もう長いこと、短歌をそんな作り方してないや。
それがよいか、悪いかわからないけれど、もっと「口をついて出てしまう」ように作っている。
「よし、作るぞ!」と思って作るのも、すでに存在している短歌を並べ替えて連作にするのも「あと付けの作為」みたいなものが作品に乗りすぎる印象がある。
そう言えば、昔受講していた「枡野浩一短歌塾」で、枡野さんの短歌を並べ替えて連作にせよ、という課題があった(ような記憶がある)んだけど、ほとんどの課題に参加していたのに、それには参加できなかった。受講生が並べた連作を枡野さんが評するんだけど、その評を読んでも、良し悪しが本当に皆目理解できなかったんだよね。どれもピンとこないというか。センスがないんだと思う。