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21年前

2022.08.28

きょうは月に2回の麻雀デー。
結果は1位から順に4-1-2-1。+95。
きょうは比較的うまく打ち回せた。
1回のラスが箱ラスだったのが余計。
らいさまもほとんど邪魔することなく、おとなしくしていてくれた。

ワンオペ

妻が北海道に遠征している関係で、あしたの夜までワンオペである。
らいさまはまだ僕の部屋で過ごしていて、てんは寝室、あとの4匹は1階のリビングなので、3ヶ所に分散して猫がいることになる。これが結構たいへん。
エサをあげるときは外猫用のサンルームも加わって4ヶ所10匹のエサをそれぞれの場所に持っていくことになる。

それぞれの部屋の猫に構ってあげようと、麻雀が終わった後は1階で過ごしていたんだけれど、いわとゴマはすごく寄ってくるのに、きりとふくは知らん顔なのだ。
きりとふくは、妻のほうが好きで、いわとゴマは僕のほうが好きらしい。
たぶん、外猫にエサをあげるのは僕の役目だったので、いわとゴマはそれを覚えているのではないだろうか。

3年前と21年前

昨日の日記に書いたイチローのことを書いた最古の日記が見つかった。21年前のあしたに書いている。
同じタイソンに対する格闘家の言葉とイチローの言葉を例を引いて書いているのだけれど、3年前に書いた下記「自己評価」よりも、若い感じがする。ガッツがある、というか。
実際に20歳ほど若いのだから当たり前といえば、当たり前だけれど。

ではどうぞ。
21年後の僕は、なにか「根拠」を持てているだろうか


01.08.29/vol.268【目の高さ】


割と目の高さなどを意識する方だ。

視点の位置とか。角度とか。実際のもそうだけれども、意識的なことも含めて。

内とか外とかも気になるけれども。

目の高さを感じるのはこういうことだ。

以前、日本人の格闘家(だったと思うけど)が「マイクタイソンが相手だとどうですか?」という質問に、こともなげに「勝てると思いますよ」と言っているのを見た。(……か聞いたか読んだ。あんまり覚えてない)

その格闘家は、すごくフラットに格闘家としてのマイクタイソンを分析しているのだろう、と思った。
……で、結論として「勝てる」と思ったのだろう。

実際に勝てるかどうかは別にして、その「目の高さ」がちょっとショックだった。同じ土俵で考えられること自体が。

イチローだってメジャーに行く前から、自分を過小評価していなかったし、メジャーリーグを過大評価していなかった。

目の高さが同じだった。

以前「ほぼ日」で糸井重里氏がシンクロナイズドスイミングの奥野さんが、アメリカのショービジネスの世界に転身することに関して、こんな風に言っていた。

「『大きさ』なんです。なんつーか、やっぱり、世界の大きさを感じたことのある人だからか、夢のサイズが大きいし、しかも、それを『できること』としてとらえているんです。」

つまり、そういうことなのだ。

「『できること』としてとらえられること」が、すでにスゴイのだ。
その「目の高さ」が、大事なのだ。
その「目の高さ」にはそれだけの裏付けがあるってことだから。
もちろん実際にできることもスゴイのだけれども。

ボクは、と言うと、ひとまずなんでもいいから根拠を持ちたい、なんて、えらく低いところからはじめなければならないことが、情けないのだけれども。


きょうのらいさま

全然手はかからないんだけど、やはり部屋の外は気になるみたいで、僕がドアから出ていこうとすると、一目散に駆けてくる。もう結構なスピードなので、いちいち面倒くさい。

爪も切れた。

あと里親さん探しのこと、昨日「決して早いもの勝ちみたいな選び方はしない」って書いたけれど、厳密にはいつまでも待つわけではないから「この人!」って思う方がいれば、決めてしまうわけで、早いもの勝ちではないけれど、遅いと決まってしまっている可能性も、もちろんある。

この「〜の図」という言い回しが僕に許容できるギリギリの表現。
「猫は話さない」という一線は、越えたくない、と思っているみたい。

これも、もっとバズりそうなキャプションを付けられると思うんだけど、「例えばそれでバズるとなんなの?」とも思ってしまう。それよりも自分の許容できるラインを守りたい欲が強い。


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仁尾智(におさとる)
そんなそんな。