我が家暦では春
2022.03.01
我が家では、2月が終わると春、という「我が家暦」があるので、きょうから春です。
春の短歌は割とありそう。
《外猫が身体じゅうになんか草の種みたいな春をくっつけてきた》
《のどが鳴る楽器をなでる 一流のネコナディストになる春の夜》
《祝・到来 猫のあくびが最近で最大だった きょうからが春》
《あれ以来乗ってなかった自転車とその荷台にも春がきました》
《三回の一身上の都合から一枚の履歴書になる春》
《この街で初めての春 薬局の角のあの木は桜と気づく》
《今年初「はじめまして」を口にする日はいつなのか もう春なのか》
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明日再放送
明日3/2、BS-TBSで23時から「ねこ自慢」、僕が出演した回の再放送です。
放映後、またTverで配信されるんじゃないだろうか。
案外観るチャンスが多い「ねこ自慢」、ぜひ。
三十一筆箋 −猫猫−
イラストがどんどん上がってきて、なんかすぐ出来上がっちゃいそうな勢いです。
とてもかわいくて、よいものになりそうで、楽しみ。
台湾版
『猫のいる家に帰りたい』の台湾版、きょう本文部分のPDFも入手した。漢字だらけで全然わからないんだけど、高揚する。
ふと思ったんだけど、僕の短歌、割と「何かを踏まえた」作品があって、そういうのはどんなふうに伝わるんだろう。
例えば《ミルキーはママの味すら知らないで鳴いてた猫に名付けた名前》は「ミルキーはママの味」というキャッチコピーを踏まえたものだし、《なんとかと煙と猫と僕は行く 目的もなく高いところへ》は「バカと煙は高いところへ上る」という慣用句(?)を踏まえている。
《この家で観測してきた限りでは猫はコタツで丸くならない》も童謡を踏まえているし、《「目の色が変わる」は「夢中になる」の意味 子猫は夢中で猫になりゆく》も「目の色が変わる」という慣用句を踏まえている。
こういうのは海外の人に伝わるのだろうか。たぶんあまりピンとこないけど「ああ、なんか日本ではそういうのがあるんだろうな……」くらいに、僕が外国映画とかでピンとこないくだりで思うような感じで読まれたりするのだろうか。想像するとちょっとおもしろいな……。
春原さんのうた
映画「春原さんのうた」は、明後日3/3に初めてとなる下北沢「シモキタ-エキマエ-シネマK2」で観ることにした。楽しみ。
余力があれば、土曜日に町田の「57577展」に行ってみようかな、と思っているけれど、そんなに出歩く元気があるのか、自分でもわからない。
きょうのぼくぼく
くったくがない。