火事

2024.11.09


きょうはオンライン麻雀大会の日。

戦績は1位から4-0-1-3で+54。
こまごまとあがって、トップを取れる半荘もあったけれど、手も足も出ずにラスを引く半荘もあった、という印象。

最後の半荘でラスを引いたのがもったいなかったな……。

メンバーのひとりが前回の麻雀から今回までの間にベトナムのホイアンに旅行に行ったらしい。いいな……。

火事

きょう、麻雀をしているときに、なんとなく窓の外を眺めたら、少し離れた丘の上の住宅街あたりで、どう見ても火事らしき火柱と黒い煙があがっていた。

これだな……。
人も動物も誰も怪我などしていませんように。

いわグッズ

いわの水彩画を使ったグッズが届いた。
送料の関係で、いたずらにスマホケースも買ってしまった。

長袖のほうは、ちょっとイラストが大きすぎる印象。ちょっと修正しよう。
半袖のTシャツはまあ、悪くないのでは?

いわ、本当はもっと濃いグレーというか、茶色というか、なので、この絵の色は、ちょっと明るすぎるんだけど、それはもう仕方がない。

微修正後、なにかの折に販売してみましょうかね。誰が買うねん、と思いながら販売するので、売れなくても悲しくないし、リスクもないのでだいじょうぶです。

効能

短歌を作ることには効能がある、と思っていることは、たぶん日記でも書いたことがあると思う。

耐え難いことが起きたときに、そのことで短歌を作ると、少し心が軽くなる、というか、しんどさを外に出せるような感じがする。

これは、いったいなんなのだろうか、と考えていたんだけど、たぶん「耐え難いこと」を正面から見つめながら、短歌に落とし込まざるを得ないからではないか。

「耐え難いこと」の外側に「楽」を求めると、どうしても耐え難いことがちらついてしまうものだけれど、短歌にするという行為は、結局その「耐え難いこと」を自分なりに捉え直す作業なので、見つめているのだけれど、少し焦点がぼやかしている、みたいな感じなのだと思う。

でも、そういう自分の身に起こった「耐え難いこと」を「短歌のネタになるからだいじょうぶ」みたいに考えちゃうことは、好きじゃない。

……みたいなことは、だいたいお風呂に入っているときに思い至ることが多い。

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仁尾智(におさとる)
そんなそんな。