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2023.01.04

きょうから仕事始めの人も多いのだろうか。
きょうは、朝から出雲大社相模分祠に初詣。だいたいおみくじを引くことが目的みたいなものだ。

この年始のお参りも、父母が健在の頃は、千葉の実家へ帰り、実家近くの検見川神社でお参りをしていた。我が家の近所の神社に行っていた時期もある。正月から大山に登って、お参りして帰ってきていた時期もある。ここ数年は三が日を外して、出雲大社相模分祠に行くことになっている。自然とそんなふうに遷移していくことが、なんとなく不思議だ。

……で、おみくじは「吉」。昨年は「凶」だったけど大過なく過ごせたので「あれで『凶』なら、『吉』の今年はめちゃくちゃいいことばかりあるのでは?」と、良く言えばポジティブ、悪く言えば能天気な感想。

「失物:出ません 無駄です」が、身も蓋もなくて笑った。

おみくじには、だいたい割とどうでもよさそうな短歌が書かれている。

今年の短歌は、《ちからある限りに今を生きてあれば神のめぐみの倖せは来む》だった。

僕が同じような意味合いで書くとしたら……《神さまへ いまがんばっている僕をいまがんばって幸せにして》だろうか。全然同じような意味合いじゃなくなってしまったが。

推敲前は《神さまへ いまがんばっている僕を早く見つけて幸せにして》だったけど、「いまがんばって」をくりかえしたほうが人間の身勝手さがよく出るのでは、と思ってそうした。

もとの短歌が「頑張っていればしあわせになりますよ」という意味なのに対して、僕のは「頑張ってるんだからしあわせにして」となっている。

もとの短歌が目線が「神さま」でもなければ「僕」でもない「どこかの説教くさい人」であるのに対して、僕の短歌は「僕」目線であることが大きな理由。

この「おみくじの短歌を自分が書くとしたら」は、毎年恒例にしてもいい。

におみくじその後

届いたかたのツイートが、ぽつりぽつり。
もう少し増えてきたら、noteにまとめていきます。

代表作出た!

縦書き、難しかった。なんかグネグネしてるな……。

ちゃんと保護猫を飼っている方のもとへ。

このLIFEのほうの短歌は、割と気に入っている。ちなみにそんな花はたぶんない。

現在LIFE残り10首。
LIFEには、やや暗い短歌が多い気がして、新年から読む短歌としてふさわしいものだったか、今になって不安だけれど、もうそれはあきらめてほしい。

あした観る映画

そう言えば、時間軸的にはどうなってるんだろう。
当時のルールと今のルールはずいぶん変わっているのだけれど、当時の話として進行するのだろうか。今の話としてルールも変えて進行するのだろうか。あまり何も調べていない(流れてくる絶賛ツイートだけはたくさん見ている)のだけれど、誰も不満を述べている人をみないということは、そういうことも含めてクリアになっている作りなのだろう。
楽しみ。

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仁尾智(におさとる)
そんなそんな。