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猫からの手紙

見て見ないふりをしてたら死んでいた猫じゃなければ見なかったかな

(連作「ネコノイル」より)

猫からの手紙が届いたのは、2006年9月2日土曜日の朝だった。

僕はまだベッドで起きるでも、眠るでもなくうだうだしていた。

先に起きて、なつめ(オス猫)を病院へ連れていったはずの妻が、数分で戻ってきた。(なつめには持病があり、週1回通院していた)

何事かと思い、玄関に行ってみる。

「どうしたの?」と聞くと、妻は、なつめの入ったキャリーバッグを玄関先に置いて、僕に2枚の紙を渡しながら言った。

「そこの電信柱にこんなの貼ってあったから、ちょっと見てくる」

妻は、また外へ出て行ってしまった。あわただしい。

渡された2枚の紙を見る。

1枚目には、子供の文字でこう書かれていた。

ねこから
おねがい

 子ねこがすてられています。
かいたい人はどうのした
にきてください。

「どうのした」というのは、「堂ノ下」というこの近辺でだけ通じる場所の名前で、ゴミ捨て場になっている。

もう1枚には、1枚目より上手な文字でこう書かれていた。

子ねこをみつけました。
なのでひろってくれる人はひろってください
「ニャーニャー」ないてさむそうなので
おねがいします!
動物受係より

ご丁寧に「さむいニャー」というセリフ入りの猫のイラスト付きだった。

(「動物受係」ってなんだよ……)と思いながら、少し落ち着いて状況を整理していく。

たぶん、こういうことだ。

1)
この近所のどこかの家に姉妹(おそらく小学校高学年と低学年くらい)がいて、猫を拾って家に連れて帰った。

2)
母親に飼いたい旨を話すと、「元の場所に戻してらっしゃい」と言われた。

3)
あきらめきれない姉妹は愚図った。

4)
母親は提案した。
「じゃあ、こうしましょう。ウチでは飼えないから、電信柱に貼り紙をして、飼い主を探すの」

5)
姉妹の興味は、貼り紙作りに移った。

6)
母親はウチが猫を飼っていることを知っていて、「あの辺の電信柱に貼ってきなさい」と、我が家のすぐ前の電信柱に貼らせた。

7)
妻がその貼り紙を見つけた。

(そんなところだろうな)と、考えていると妻が戻ってきた。

白っぽくて、華奢で、目の大きい子猫だった。

そのまま、なつめと一緒に病院へ連れていく。

獣医さんが、レントゲンを見ながら話す。

「こちら(右)の後脚、骨折しています。あと、左目が化膿しています。長距離は歩けないし、朝晩は冷えるから、一日遅かったら死んじゃってたかも」

生後約2ヵ月のオス猫だった。(前脚が小さくて、顔立ちもなんとなくメスっぽかったから、メスだとばかり思っていた)

なんらかの原因で骨折してしまい、親に置いていかれてしまったのだろう、とのことだった。

猫を保護したときはいつも、やりきれないような、嬉しいような、面倒くさいような、恐ろしいような気持ちになる。

猫には、その端正な顔立ちから「きり」と名付けた。

あれから13年が経つ。

「ふく」という猫を迎え入れるまで、ずっと「きり」が最年少だった。そのせいだろう。13歳と言えばもうおじいちゃんなのに、なぜか子供っぽい。

貼り紙の件が、想像通りの顛末だとすれば、姉妹の母親の思惑通りでなんだかしゃくだ。

せっかく「ねこからおねがい」と書いてあるのだから、きりの母猫からの手紙だと思うことにした。何らかの事情で、どうしてもきりの面倒を見られなくなり、僕たちにきりを託す気持ちで書いたのだ。そう思えば下手くそな字にも合点がいくし、腹が立つどころか逆に泣けてくる。

今度、同じ電柱に貼り紙をしておこうか。

きりのお母さんへ
だいじょうぶ、きりはきょうも元気です


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仁尾智(におさとる)
そんなそんな。