「猫」対「我が家」
2023.03.11
父の命日
きょうは、震災から12年、父の死から4年という日だ。僕が生きている限り、きょう3月11日は、そういう日として綴らざるを得ないのだろう。ちょっと気が遠くなるね。
昨年のきょうの日記を読んでいたら、全然書いた記憶にない「知らない果実」というエッセイが出てきた。意外と面白かったのでどうぞ。
そういえば、母が亡くなった直後、母と二人暮らしをしていた父が施設に入る前に一度だけ父にカレーを作ったことがある。結局、僕が父にしたことといえば、それくらいのことだった。長男らしいことは何ひとつしていない。
猫の近況
SNSでも、リアルでも、その人が飼っている猫の近況を自分から聞けない。時候の挨拶みたいに気軽に「○○ちゃんは元気?」って聞ければいいんだけど、元気じゃなかったときのことを思い描いてしまうから、聞けない。聞けないけど、気にしてはいるよ。
きょうやったこと
正確な数はわからないけど、200首くらいだと思う。カードが見えていないのは、あらかじめ封筒に入っていて、どんな短歌かわからない「におみくじ方式」で買ってもらう用。運試し(?)に買っていただけることを期待して。
そんな全部全部売れると思っているわけではなくて、こういうのはたくさん展示してあるほうがいいし、目隠しで購入するにも、たくさんの中から選ぶほうが楽しいじゃん。
WBC
野球、びっくりするほど興味がなくなったな……。こういうのは何がきっかけなんだろう。何か決定的なことがあったわけじゃなくて、なんとなく全然観なくなってしまった。こう見えて、小学生の頃は「甲子園リトルリーグ」に入っていたのに。
短歌として
第一歌集を出すので、自分の短歌を「短歌として」評されてみたい気持ちがある。裏を返すと、「無視されたくない」みたいな気持ちだろうか。まあ、それは贅沢な気持ちなんだけど。
オビ
オビの文言はおまかせしていたんだけど、最初に上がってきたのが「猫と僕の日々。」となっていて、全然間違いじゃないんだけど、僕の中ですごい違和感があって「猫たちとの日々。」に変更してもらった。
この違和感の正体は、要するに「猫のことについては『猫』対『僕』という『個』ではなくて、『猫』対『我が家』でしか考えていない」ということなのだと思う。
芳名帳代わりに
個展なんかに行くと、「芳名帳」が置いてある。
次の展示の案内とかを届けられるように。ひとこと感想を書いたり。
僕には次の展示とかあまりないから、置く意味ないんだけど、芳名帳の代わりに、これ、やりたいな……。
自前の自著と付箋を置いといて、好きな短歌にひと言書いた付箋を貼ってもらうとか。
あ、もしかして付箋ではなくて、直接自前の本に寄せ書きみたいに好きな短歌のページに感想とか書いてもらうのはどうだろうか。
せっかく1ページ一首でスカスカなんだし。本に直接書くのって、ちょっと緊張するかな……。でも実現して、たくさん書いてもらえたら宝物にする。
そんなそんな。