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奇数月

猫が亡くなったり、来なくなったりして、僕の前からいなくなってしまうのは、決まって奇数月だった。
さぁが2010年7月、ミルキーは同年9月、こげが2013年3月、ちゃーは2014年5月、ぎんも、たぬも2014年5月だ。
そのことを妻に話すと、「そんなの偶然に決まってるじゃん、バカじゃないの」と一蹴された。
偶然であることくらい、よくわかっている。
でも僕にとって、奇数月は嫌な感じのする月だった。猫に関することについては、特に。

だから、6月の終わりにしろちの病気がわかったとき、不謹慎にも「ああ、また7月にお別れが来るのかな……」と思ってしまった。

病状は、徐々に進行していった。
7月の半ば、少しよくなった時期には「ああ、この調子で7月さえ切り抜けてくれれば、偶数月の8月は持ちこたえられるのでは……」とも考えた。
愚かしい考えであることくらい、よくわかっている。

おっとりしていて、のんびり屋だけれど、意外と自己主張が強く、頑固だった。
まだ食欲があった頃は、あるフード以外口にしなかった。
そのフードは1つの箱の中に4種類の味が入っているドライフードで、そのうちの1種類、青い袋の「かつお節とかにかま添え」だけを食べた。
それしか食べてくれないので、このフードを大量に買った。青い袋だけが消費されて、残りの3種類は、どんどん貯まっていった。今も余っている。
背中をなでていると、しばしば「もう背中はいいから、次は喉!」というように、首をのばして催促をした。完全な下僕である。

7月の終盤、いよいよ食欲がなくなり、水も飲めなくなった。それでも毎朝点滴を打ちに病院に向かった。
その後の治療はもう、しろちのためではなく、たぶん自分のためだ。
しろちは、本当によく頑張ってくれて、しろちが頑張ってくれたその時間で、ゆっくり覚悟ができていった。
そして、8月1日の朝5時45分。
しろちは、しろちらしく穏やかに息を引き取った。1ヶ月半の闘病だった。まるで7月が終わるのを待っていたかのようだった。

いや、逆じゃないのか。
僕にゆっくり覚悟させるために、しろちは頑張ったのではないか。
馬鹿げた奇数月のジンクスを「そんなこと、あるわけないよ」と諭すために、しろちは頑張ったのではないか。
そんなタイミングだった。

しろちはそれこそ「そんなこと、あるわけないよ」と笑うかな。
でも、しろちが頑張ってくれたおかげで、今のところなんとか受け入れられているよ。

もちろんものすごい喪失感だけれど、こんな文章を書けるくらいには落ち着いている。
当日にこんな文章を書いているなんて、もしかしたら逆におかしいのかな。
まだピンと来てないだけなのかも知れない。
でも、これまでみたいに、心のバランスを失うようなことはないと思う。
これからは奇数月も、あまり気にせず過ごせるよ。

心から、ありがとう。
心から、お疲れさまでした。

衰えた猫はやっぱり撮れなくてアラーキーにはなれそうもない(仁尾智)

#猫 #エッセイ #短歌

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仁尾智(におさとる)
そんなそんな。