
能動的に‼️
〜 私が生きないで誰が私の人生を生きてくれるんだ? 〜
と、思いません?
いえね、これまで何度も書いてきたことと重複するのですが。
そう思ったのも、遠い昔、私は私の人生を生きていなかったからなのです。
いつも人の目を気にして、人が不快に思うことを極力避けるために自分の気持ちは置き去りにしていました。それがデフォルトだったため、そうしていたことにも気づいていなかったのですが。我慢していることにも気づかず、心を壊した時期がありました。
そしてある時、あることをきっかけにしてそれまでの自分の生き方を変えたいと切実に思い、実行しました。そしてようやく自分の感情を表に出して生きることができるようになったのです。
この十年は自分との対話にたくさんの時間を費やしました。自分の心を見つめ直し、どう生きていきたいのかを深く掘り下げて考える時間をたくさん取りました。
それまで溜めに溜めていた不満や負の塊の澱のようなものを「書くこと」によって全て吐き出し、これから先は本当の自分として生きたいように生きようと志を新たにしました。
すると、それまでとは全く接点のなかった“違うステージ“の人たちとの出会いがたくさんありました。そしてその人たちとの対話によって新しい思考の発見を得ると同時に、自分の深層に昔からあった思想がまるで炙り出されるようにゆっくりじわじわと湧き上がり、次第にはっきりと読み取れる文字となって目の前に現れました。
そうか、私はこう生きたかったんだ!と。
人に優しく。言葉や態度にしっかりと出す。
自分の気持ちを伝える。好きです。素敵です。イヤです。できません。を言う。
理想を掲げる。その理想は夢とせず、口に出して少しでもそこに近づく努力をする。
我慢をしない。流さない。見て見ぬふりをしない。後回しにしない。
揚げるとまだまだあるのですが、その中でも今後の一番の課題として思うことは
「能動的に生きる」
これだな。マジで。
これまでもやりたいことを実現するために色々やってはきたのです。でもそこにもやはりこれまで生きてきたやり方や考え方の癖というのは出てしまうものです。どこかに忖度があり、無意識な微調整をしている。するとどうしても本当にやりたいことがまるで薄いベールを被ったようにハッキリとしない。突き抜けない。どこかでイライラしている自分がいるんです。
まぁそんなものよね、と諦めるか。いや違う、そうじゃないともう一度仕切り直すか。
何が一番の原因かを追求すると、私自身がもっともっと能動的であるべきだという結論に至りました。そして同じ目的に参加する方達もそうあって欲しいと。
能動的であることは非常に人生が面白く、濃厚になると思います。同じことをやっていても受け身でやるのか自発的にやるのかは雲泥の差です。
やるからには能動的に。でないと損です。人生は永遠ではないのです。限られた時間なのです。あぁ、あの時もっと積極的にやっていたらもっと面白かっただろうに、と後悔しても後の祭り。時間は巻き戻しはできません。砂時計の砂は落ちたら最後、元には戻ってはくれません。
何がしたい?何が聴きたい?誰と話したい?誰と何がしたい?
何を学びたい?何を取り入れたい?どこを目指したい?どうやって行きたい?
それらを自発的に、積極的に、能動的に言葉に出し、実行することで人生は俄然色濃く楽しいものに変化すると確信するのです。
もっと面白く生きたい。だから私は能動的になります。
自分の人生を自分のために生きるのです。
それは「やろう」と思えば今すぐ始められます。
面白く生きることを共有しませんか?
人生は楽しむためにあるのです。