大人相談会 No.24 / あの時置いてきた私を探しに行こう
大人になると忘れてしまっていたことってたくさんありますよね。
例えば、これまでたくさん選択してきた「分岐点」で選ばなかったもう片方の道。
そこには間違いなく選んだ方とは別の意味で大事な何かがあったはずです。
その時選ばなかった理由は、諦めざるを得ない「圧倒的に足りない実力」だったり、「どうしても合わなかったタイミング」だったりしたのなら仕方がないと切り捨てられたかもしれない。でも、「どちらも好きだったけれど(またはどちらも選べたけれど)、より得意だった方もしくは条件が良かった方を選んだ」としたら、その時その場に置いてきた自分は今から考えると「ちょっともったいなかったな」、なんて時間がたった今だからこそ思うことはありませんか?
今回このテーマを考えた理由は、「もしも過去に戻れたら」というのではなくて、今の自分はあの時の選択があったから到達できた現在があり、それを肯定した上で「そう言えばあの時選ばなかったもう一つの方も今でもずっと好きなんだよね」という思いがもしあるのなら、あの時置いてきた自分を連れに帰って「わたし総動員」させてあげたら、これからの人生がもっともっと楽しくなって自分の全てを活用することができるのではないかな?と思いました。それはこれからの人生を生きる上できっと豊かで楽しくなるに違いない。ぜひ皆さんの「あの時置いてきた自分」を探しに行っていただきたいと思ったわけです。
ところが。
大人になるというのはいろんな意味で視野が広くなり、視座が高まり、いろんなことが「見えてしまう」ことなのだと改めて思い知らされたわけで。
過去の自分にとって、とても充実して楽しかった記憶というのは、きっと誰しもが持っていると思います。そして過去を思い出すとき、「あの時の自分」が眩しく、もう一度そのキラキラと輝く感覚を味わってみたいと思うのは当然のことです。充実した時間を経て次のキャリアへの分岐点でまた別の道へと進んで今がある。もしあの楽しかった時間にいた私を、もう一度連れに帰ることができたら、経験を積んだ今の自分はさらに輝き、最強になるはずです。
しかしながら現実はそうは甘くはないようです。
たくさんの経験は新しいステージにおいて、使われる側の人材としては諸手を挙げて歓迎されるというわけではありません。使う側からするとある意味「使い難い」とされることが多いように感じます。経験はなくても、とにかく真っ白で「使いやすい」人間が求められるのは世の常です。
かく言う私も経験があります。経験値が邪魔をする、とまではいかなくても色々なものが「見えてしまう」以上、より良い方へと改善するために動くことは自然なことなのに、周りの反応に忖度し、何も考えず、口に出さないということは耐え難い忍耐を必要とします。そしてお互いにストレスが溜まり、ギクシャクしてくる。
もちろん「聞く耳」があってその需要がある場所なら、いくらでも可能性は無限大に広がるでしょうが、出来上がった組織に自分をはめ込むことはお互いに無理があることの方が多いような気がします。
ならば自分でやるしかない。しかしそれには諸々の条件が必要で、、、などと考え出すとやはり今の現状を捨ててまで動くことは難しいと感じる。
手に持った種は必ず誰にでもあるはずで、それを蒔く機会や勇気がなかなか出ないだけなのかもしれません。そして蒔いたからには芽が出てほしいと欲が出る。出なかった時の落胆を考えるとポケットの中で握りしめた種はいつしか消えて失くなっていたりする。
あったはずの種は人と話しているうちに不意にまた現れたりもします。
忙しい毎日に翻弄されていると、失くしたことにも気付いていないのかもしれません。人の話を聞いているうちに思い出すこともあるし、話しているうちに「そういえば自分にはこれがあったんだ」なんて言葉に出すことでポン!と発芽することもあります。その芽に水をあげるのも肥料を与えるのも自由だし、もしもそこから成長しなかったとしても、それはそれでいいのかもしれない。
自分にとってのキラキラの種は、決して他人から合格点を貰えなくてもいい。逆にそのゴールは他人に委ねるのではなく、自分で決めていいんじゃないかと思うのです。大切なのは熟れた実を収穫することではなく、大事にしてきた種を蒔いて、水を与える過程なのだと。
皆さんと話しているうちに、ある人から「私は本当はこれがしたいんです」という意見が出てきました。しかしそこには「恐れ」があると言います。
新しく道を切り開くとき、不安や恐れはつきものです。しかし逆にそれがあるから前を向ける。その怖さを克服するためには足を一歩前に進めるしかありません。
怖さはエネルギーになります。その感情を、行動を起こす力に変えることで人は少しずつ強くなっていくのだと思います。
そしてその希望を応援してくれる人が一人でもいたら、自分が不得意なこともあえてやってみてもいいんじゃないでしょうか。甘えるのが下手だという人は結構いると思いますが、「甘えてあげること」も一つの感謝の形であるという言葉に、また視野が広がりました。
一人で考えているだけでは到達できないところへ、今夜もまたみんなで歩いて行くことができました。こういう場所があって本当に良かったと、有り難いと言ってもらえて、私の育てている小さな芽はぐんと成長した気がしました。
あなたの置いてきたもう一人の自分は今どこにますか?
ポケットの中にある種は今も存在していますか?
少し立ち止まって、確認してみると面白いかもしれません。
参加してくれたメンバーの皆さん、ありがとうございました。
また会いましょう。
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