無意識の顔筋調整に注意せよ!
朝、スマホにセットした目覚ましの音で起きるとそのままメールやラインを開いて未読をチェックする。
あれ?なんだか字がボヤけてよく見えない。
おかしいな〜、目を擦ったり目薬をさしてみたが変わらない。
あ、眼鏡かけてなかったんだ。
私は子供の頃から両眼 2.0 の視力をもっていた。どこまでも遠くまで見えるので「見えない」という感覚がわからなかった。電車の吊り広告は小さな字でもかなり離れたところから楽に読めたし、車窓から見える建物に書かれた社名や看板の類は全て読める。ハッキリ見えるから読んでしまう。読めなければボ〜〜っと「眺めて」いられるだろうに、見えてしまうもんだから全て読んで解釈したくなる。だからものすごく目が疲れる。動体視力には自信があるよ。クレー射撃はかなりの腕前だ。やったことないけど。
目がいいと早くから老眼になるからね、とその遺伝子をしっかり受け継いだ母から言われていたことをいつも気にかけてはいたものの、50才まではなんの変化もなかった。眼鏡やコンタクトとは無縁の半世紀を過ごしてきた。
個人差があるものの、人間というのは必ずや「老い」を自覚する時が来るものだね。初めて「老眼」を自覚したのはちょうど50を過ぎた頃、お風呂に入っていた時だった。
湯船に浸かりながらその日買ったばかりのシャンプーのボトルを手に取って眺めた。カラーリングによるダメージとコシがなくなってきた髪に栄養補給するというもので、コスメフェチの私はその効能を確かめたくてボトルの裏に書いてある内容成分を読もうと思ったのだ。
・・・見えない。
なんだこれ。なんで読めないんだ?
元々、私は強い光が好きではないので部屋の照明に白色を使わない。少しオレンジがかった電球色の目に優しい色にしている。蛍光灯の強い白色は片頭痛持ちにはとても辛いのだ。光が刺激して頭痛を引き起こすと知ってからは尚気を付けている。
お風呂の照明はリラックス効果も期待して、より薄暗くしてある。そして湯船から立ち昇る湯気によって室内は全体的に白く煙っていた。
そうか、薄暗いから見えないのか。そう思って気を取り直してみたものの、目を凝らせばいくらなんでも少しは読めるだろうと思ったが・・・全くもって読めない。その感覚たるや、生まれて初めてのモヤモヤ感で必死で目を細めたりライトの近くに持っていったりしても一向にボヤけた文字にピントが合わない。
ああ、そうか…。これが世に言うローガンというやつか。
軽い目眩とともに、初めて「老い」を実感した。
しかしポジティブ人間の私は落ち込むどころか逆に嬉しくなった。人生初眼鏡。ちょっと心躍ったのは言うまでもない。何せ若い頃から憧れた眼鏡をダテではなく度付きレンズが入ったホンモノを買うのだ。早速次の日オシャレな眼鏡を求めていそいそと駅ビルの中にあるzoffに出かけた。
老眼鏡は、いやもとい。リーディンググラス(そこんとこ大事よね)は3種類の強度から選ぶようだ。一つずつかけ比べるが自分ではよくわからない。店員さんのアドバイスで視力を測ってもらうことにした。
久しぶりの視力検査。一体何年ぶりかも思い出せない。どうせ「全見え」に決まってる。私はずっと視力検査の「C」マークが一番下まで “ 見えなかった ” ことがなかった。なぜそれ以上小さいのを作ってくれないのと思ったものだ。もっと小さい字が見える自信があったのに。なので自分の本当の視力を測れたことがない。まあそれ以上測っても意味はないのだけれど。サバンナで狩猟するわけじゃあるまいし。
最新のマシンであっという間に検査が終わり、店員さんに言われた一言が
「老眼だけじゃなくて乱視も入ってますね。左右違う度数になります。」
は???乱視とは…
「乱視と言いますと?」
「まあその…加齢によるもので特に問題はないですよ」
加齢・・・。
ゲンナリとテンションが下がったのは言うまでもない。しかしまあ仕方のないことよね。正確に測って作れるんだからそれに越したことはないのだ。
出来上がった人生初のホンモノ眼鏡をかけて文字サンプルを読んでみる。
なんとクリアに見えること!こんなに違うのか。きっと今まで少しずつ悪くなっていたものの、実感がなかったので必要性も感じなかったがこうしてかけてみるとその鮮明さに目が覚めるようだった。
先日、その眼鏡を失くして(と思ったが仕事先に忘れてきただけで数日後に出てきた)困ったので、また眼鏡を作りに行ってきた。人生初眼鏡から3年半が過ぎ、少しずつ老眼が進んでいるだろうと恐る恐る再びzoffを訪れた。
結果は3年半前と変わっていなくてホッとした。今でも手元の近くのスマホや文庫本の小さな文字を読む時にしかかけないが、かけるたびにハッとして目が覚めるような感覚になる。そして目がぱちっと開く。
多分、普段無意識にモノを見る時ピントを合わせるために目を細めているのだろう。目を細めるということはまぶたの筋肉が弛緩している状態。そして細めた目に連動して無意識に口がへの字になる。目を凝らすことに集中して口元に力が入るからだ。への字口は頬の筋肉が下がって見える。それが日常になると段々と「お婆さんげ」な顔になっていくのだろうと思う。時々暗いPCやスマホの画面に不意に反射して映った自分の顔を見てギョッとする。
いかんいかん。まぶたの筋肉が衰えないよう、ぱちっと目を開けて見ることを意識して、生き生きとした表情を保つ努力をしよう。もう眼鏡を失くさないように家と仕事のバッグに一つずつ定位置に持つことにした。
*ー 教訓 ー*
「 無意識の顔筋調整は知らず知らずのうちに老け顔を作る。」
ああ、恐ろしや。