覚えのある後悔と悲しみ
今日は映画「CLOSE」を観てきた。
ネタバレになるといけないので具体的な内容は伏せるが、この映画は子供から大人になる途中、誰にでも経験のある幼さゆえの残酷さ、自意識、純粋、無知、そして無垢などを包括した、ある限られた年齢の範囲内で起こりうる特有の問題や感情がたくさん込められている。
「なぜ?」
「別に」
そんなどこにでもある会話が、それまでの疑いようのない信頼や愛情の積み重なった関係性を一瞬にして崩壊させるのだ。愛するがゆえ。若さゆえ。
そんなつもりじゃなかった。
周りの目を気にして、言葉や態度で人を傷つけてしまう。
でもそれは、他人ではなく、本当は自分を一番傷つけている、ということにも気づかずに。
後でいくら後悔しても、言い訳してももう元には戻らない。
そんな非情な現実を否が応でも受け入れなければならないのだ。
人間は生きている以上、いくら傷ついたとしても、いくら傷つけたとしても、いつかは前を向いてまた歩き出さなければならない。
傷ついたことも、傷つけたことも、その事実としっかりと向き合い、受け入れて初めて、人は少しずつ大人になってゆくのだろう。
あの時、なぜあんなことを言ってしまったのか。
傷つけるつもりなど、1ミリもなかったのに。
結果的にあのこは私の元を離れて行った。
そしてそのことにとても打ちのめされた自分がいた。
そんな経験が誰にでもあるはずだ。
悲しくて、辛くて、また以前のような関係性に戻れたら。
そんな遠い昔の感情に身に覚えのある大人たちは、この映画を観て心からあの幼き日の残酷な自分と再度向き合わされる。
そして心の中で記憶の中のあのこに謝り、あの時自分を見失っていたことを再認識するのだろう。
もう一度会いたい。
そんな主人公の小さな呟きが心に沁みて、痛くてどうしようもなかった。
美しく、儚く悲しい物語。
今回初の映画出演を果たした、主役のレオを演じたエデン・ダンブリンの今後がとても楽しみだ。
*アーカイブは下のマガジンから読んでいただけます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?