恋と愛の違い
嶋津さんのstand.fmで「恋愛」と「対話」についての話を聴いた。
その中で「恋」と「愛」の定義、違いについて話されていた。
嶋津さん曰く、『「恋」はキラキラしたところを追いかけている状態。つまり、長所しか見えていない状態です』と。
影の部分やネガティブな要素は見えていない。要するに「恋は盲目」。
それに変わって、『愛は短所さえも愛おしく思えること』と。
そして、嶋津さんは『恋愛が上手な人は対話も上手い』と言い切られた。
ううむ・・・。深い。
私が考える『恋と愛の違い』は・・・。
「恋」は自己愛を含む。「愛」は自己犠牲を含む。
恋している時、私は自分のことがとても好きになる。『その人』といる時の自分がとても愛しく思える。ドキドキ、ソワソワしながら一生懸命「自分メンテナンス」に励み、少しでもキレイでいたいと努力する。『その人』といる時、言葉使いからグラスを持つ指先までも全神経を集中させ、熱を帯びた視線を『その人』に向けている自分が可愛くていじらしくて最高潮に気分が上がる。めちゃめやイイ女になっている(と、妄想している)。恋をしている自分が好きだ。これは間違いなく自己愛だと思う。
一方、愛は自己犠牲の上に成り立つことが多いと思っている。『自分を愛することができない人間は他人を愛することはできない』とはよく聞くけれど、基本、人間は自分が一番だと無意識で思っていると思う。自分がめちゃめちゃ腹が減って死にそうな時に、他人に「お先にどうぞ」とはなかなか言えないものだ。
しかし、本物の愛は全てを超越する。私はそれを知ったのは子供が生まれてからで、母親になって初めて得た感覚だ。
この感覚はなかなか言葉には表しにくい。こればっかりは体感して初めて得られたので、どう説明していいのか分からない。そして、母になった経験を持つ人が全て持ち合わせているとは限らないとも思う。その深さ、度合いは個人差があるのは理解しているが、私にとっては決してブレない確信のようなもの。
例えば。
もしも子供に何か病気が見つかって、私の臓器を移植すれば助かるとわかったら、何の迷いもなく「あげる」と言える。もしもそれで私の命が失われるとしても、100%「あげる」と言える。
それは間違いなく『愛』だと言える。それ以外、言いようがない。
そのレベルで他人様に同じ『愛』を差し出すことができるかというと、それはちょっと自信がない。命がいくつあっても足りないではないか。
でも、私にとっての『愛』はそういうことなのだ。
なので「恋」と「愛」の間には計り知れない高い壁が存在する。
極端すぎる。わかっているんです。
でも、それぐらいの覚悟でないと「愛」という言葉は軽々しくは使えない。
なかなか読み進められない哲学書、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』は、私にはハードルが高いが、自分の中の『愛』を分析するためにも注意深く読み進めようと思っている。
「恋」と「愛」は全く違う。違いすぎてその二つを並べる「恋愛」なんていう言葉にとても違和感を覚えるが、相反するようなその言葉が仲良く並ぶ光景を見ることは浅はかで人間らしくて結構気に入ってもいる。
一つ言えるのは、「恋」も「愛」も人間にとってなくてはならない感情で、それを感じることができるのは非常に幸せである、ということだ。
そして久しく「恋」をしていない自分に気がついて凹む。「恋」は間違いなく体にも心にも良い。段違いに生命力が上がる。免疫力も上がる。生きるのが楽しくなる。人生が一気に意味のあるものに変わる。
ううむ・・・。
まあ、今のところ藤井風にイカれてる自分を愛することにしよう。
『青春病』を楽しもう。リアルな恋が目の前に現れるまでは。