足りていないことに気づく
今朝はみずのさんのこたつラジオにゲストとしてお呼ばれしてきました。
こたつラジオの出演は今回で5回目です。
毎回みずのさんと楽しくおしゃべりをして、あっという間に1時間が経過してしまい、毎回「この続きは次回に!」と言いながら5回も呼んでいただきました。
ありがたいことこの上なしです。
今回はこれまでのような人生振り返りのお話ではなく、雑談的なフリートークでした。とても楽しかったです。(上のツイート内からアーカイブの録音が聴けます)
こういった“人と話すこと“が足りてないんだな、と思いました。
日々の生活の中で「雑談足りない雑談足りない」なんて思うことはあまりないのでしょうけれど、こうやって1時間集中して、何かの片手間ではなくガッツリと対峙して「話す」ことをしてみると、初めて「あぁ、足りてなかったんだな」と実感するのです。
というか、“気づく暇“が日頃の生活の中に入り込む余地がないんです。
一体何をそんなに詰め込んでいるのかと思うほどに。
ある意味自分の感情に目を向けていないと言えるし、自分の行動を俯瞰して見れていない証拠です。
本当は足りていないのに気づかないこと。それを放置していると少しずつ何かが枯渇していくような感覚になります。
意味もなく悲しくなったり寂しくなったり、焦りを感じたり不安になったりすることってないですか?何かはっきりした理由があるわけでもないのに、満たされない気持ちに鬱々とする。一体何が足りないのか。何をしたいのかも分からない。
本を読んでみたり買い物をしてみたり。映画を観てみたり音楽を聴いてみたりしてもスッキリと心が晴れない。そんな時は人とのコミュニケーションが足りていないことが多い気がします。
特にここ3年間はそうでしたよね。会いたくても会えない。行きたくても行けないという状況下で、人々はずっと我慢を強いられてきました。ようやくここへきて自由な行動を許されつつある中で、何から手をつけたらいいのかが分からなくて悶々としている。そりゃそうですよね。だって3年間も人と会うことを憚られてきたわけですから、いきなりはなかなか難しいでしょう。
この状況に伴っての3年間、SNSの世界はものすごいスピードで広がっていきました。
仕事はリモート化が進み、ZOOMなどでのコミュニケーションがデフォルトとなりました。私もその中で少しずつ、このnoteで知り合った仲間たちとのコミュニティの場を育んできました。実際に会うことは叶わなくても、顔を見合わせながら話をし、近況を伝えあったり考えを交換しあったりして、その距離感を縮めながら関係性を深めてきました。
その甲斐あって、ようやくこうして実際にリアルに会える状況になり、動くことができる人たちは早速行動に出始めました。
一度も会ったことがないのに、初めてリアルであったその瞬間に一気に話に花が咲く。深いところまで潜れる。それはこのSNSという世界があったからこその恩恵でしょう。実際に会うまでにしっかりとベースができているという関係性は、とてもスムーズで温かいコミュニケーションを実現することができます。
「初めてあったのに全然そんな気がしない」という声をあちこちから聞くと、この3年間の積み重ねが功を奏しているんだなと実感します。
こたつラジオで5回もお話ししているみずのさんとはいつかリアル飲み会をしようねとお約束しましたが、きっとその時は本当に、一緒にこたつに入るような親近感を持って打ち解けて話ができるだろうなと想像します。
もちろんタカーシーさんともそうですよ!こうして毎日言葉を交換しあっているのですから、きっと楽しい時間を持てるのだろうなとワクワクしてきます。
あぁ、足りてなかったんだな。と思うことは他にもたくさんあるのでしょうね。実際にそのことに直面しないと見えてこないことは、毎日の暮らしの中で埋もれてしまっているのでしょうが、何かをしたときに、そのことが思った以上に心の琴線に触れたりしてふと気づくのだと思います。
そのときにしっかりとその事態を自覚し、自分の中でいかに大切であるかを再認識する。そうすることで心が満たされたり潤ったりするのをじっくりと味わうことは、この3年間で失ったものを少しでも取り返すことに繋がるのだろうと思います。
タカーシーさんが昨日書かれた日記を読んで、哲学の道の厳しさを少し覗かせてもらいました。内省を繰り返すことで下手をすると死と隣り合わせになるという学問。「パートナーがこの日記を読まないことを祈る」などという文章を読むと心がギュッと痛くなりました。その道を選んだタカーシーさんは、凡人の私などには想像もつかないような、そうせざるを得ない状況下で生きてこられたのだろうなと思いを馳せながら。
そんな中でもパートナーさんとの優しい日々を送られているのは、やはり日頃の親密で温かなコミュニケーションがあってこそなのだろうなと想像します。
この禍の中で二人で培われてきた絆は、何ものにも変え難い心の支えであり、タカーシーさんと奥さまにとっての宝物なのだろうと思います。
どうか、その育まれた関係性を末長く大切にしていただきたいです。
心の内をしたためてくださってとても嬉しく思いました。ありがとうございました。
今日は耳にも心にも優しい歌が聴きたくなりました。
大好きなパティ・オースティンのこちらのナンバーでどうか癒されてください。
それではまた。
*アーカイブは下のマガジンからお読みいただけます。よろしければどうぞ。