サービス精神ってなんだろう?
今日は仕事が休みで、一通りの家事を済ませたあと、Amazonから届いた本をのんびりと読んでいた。
半分ほど読み終えたところで少し休憩しようとスマホに目を移すと、嶋津さんがスペースを立ち上げているではないか。
お昼時間に開くのはとても珍しい。夜時間に開かれる「対話パーティ」や「ひとりパーティ」はいつも晩酌をしながらゆっくり聞かせていただいているのだが、この時間は「おひるやすみ対話」と題して突然の開催のようだ。
これはレアだ。早速ジョインすると、観客は私ともうお一人だけだった。まだこのサプライズに皆さん気づいてないようだ。
想定外に嶋津さんが「よかったらどうぞ」と誘ってくださるのでお言葉に甘えて飛び込む。夜の「対話パーティ」はゲストが決まっているし「ひとりパーティ」は基本、嶋津さんの一人語りでコメントはテキストで送るのみ。こんな風に気軽に飛び入り参加することはできない。久しぶりに嶋津さんとお話ししたくなった私は躊躇なく入れていただいた。おじゃましまーす!
読んでいた本の話から昨晩のテーマの一つでもある「サービス精神」の話、そして接客の話に移る。私と嶋津さんは同じ接客業仲間(今は現場にはおられないけれど)でもあるのでなんとなく "現場あるある話" が通じることが多いし、経験からくる学びや店側の立場での思考にも共通するものが多い気がしている。
自分が仕事とは逆の客の立場になったとき、店に対して気を遣うことがあるのも接客業のよくある話で、自然といい客であろうとしてしまう。振る舞いや言葉遣いなど、店の人に対して「いい客」であることは普段店側の立場で様々な困難に遭遇したり嫌な思いをしているからかもしれない。自分にとっての「いい客」を実践することで店側のストレスを無くしその場にいい空気が流れるようにしようと、ある意味無意識に行動する(私の場合)。
そう、無意識にしてしまうから色々と弊害もある気がする。これは私ひとりの考えだから他の人はまた違った思いがあると思うが。
例えば私は、飲食店で店員さんにお水を頼んでテーブルに持ってきてもらうときに無意識に「ありがとうございます」と言う。多分、多くの人は「すみません」だろう。私的には「すみません」は謝る言葉であって、水を持ってきてもらうことは悪いことではないと思っている。なぜ謝るのか。水を頼むのは客として当たり前というか、本来ならこちらが言う前に持ってきてもらいたいぐらいだ。それは店の人にとって仕事だから。
しかし多くの人は「すみません」。これは多分、言葉数として短くて言いやすいからではないかと思う。言う方は別に謝ってるつもりもなく、なんなら挨拶ぐらいのニュアンスだろう。
一方、「ありがとうございます」は長い。長いしなんだか大層だ。それだけ人は人に対して普段「ありがとうございます」という言葉を使っていない気がする。圧倒的に「すみません」の方が多く使うだろう。そうじゃないですか?
狭い通路を人とすれ違う時も、落としたものを拾ってもらった時も、拾ったものを落とし主に知らせる時も。何かを買うためにお店に入って店員さんを呼ぶ時も人に何かを訪ねる時も。まず最初に出てくる言葉は「すみません」。これはほんとうに便利で使いやすい言葉だと思う。全ての思いが「すみません」で通じてしまう。
私はそれではなんとなく自分の気持ちが収まらない。お店の人に感謝の気持ちを伝えたい。先程は文章の中で仕事として当たり前のことだとか書いておきながら逆説のような気もするが、それは自分が接客していて、何かお客様のために気遣いをした時に、お客様から「ありがとう」という言葉を頂くことの喜びを知っているからだ。
「すみません」と言われるより「ありがとう」と言われる方が何倍も嬉しいし達成感がある。自分の仕事が相手にとって有益だという証明の言葉。それは謝られることではなく、感謝して頂いたという実感を得られる有り難き言葉なのです。
謝られることと感謝されることは天と地ほども違う。大体、お客様から謝られることなど余程のことがない限り起こらない。というか起こってはならない。
だから私は自分が客の立場になった時、「ありがとうございます」と自然と口から出る。なるべくその人の目を見て言うようにしている。些細なことだが気持ちがスッキリするし、お店側の人も悪い気はしないと思う。多分ですけど。違うかな?
しかし、だ。嶋津さんとその話をしていてふと思ったことがある。それがいいことだと思っているのは実は自分だけであって、同席した人にとってどうなのか。一見、私はちゃんとした人ぶっているように振る舞っているだけで、たとえば同席した人が水を持ってきてもらった時に無言だとしたら、私の「ありがとうございます」にもしかしたらちょっとモヤる可能性もあるのではないか。女性なら余計に、自分は無言だということに気づかせてしまい、「あらやだ、私ったら無言でヤな感じかしら?」 なんて思わせてしまうかもしれない。
まあ、考えすぎだと言われればそれまでなのだが、接客業というのは様々な人間関係のあれやこれやを普段から目の当たりにしているので、否応なく考えすぎてしまうのが常なのである。
意識過剰なのは自分でもよく分かっている。それでもお店側にも同席者にも、両方が気持ちよく過ごせる空気作りを心掛けることが、結局は自分が一番心地よくいられる方法なので仕方ない。
これからも私は 「ありがとうございます」 と目を見て伝えていく。
そんなことを思いながら嶋津さんと楽しく対話を重ねて部屋を出た。
しかしここでまた私の悪い思考癖が発動する。
昼間の嶋津さんの 「おひるやすみ対話」 はもしかしたらもっとゆる~くてのんびりした話題の方が良かったのではなかろうか。カフェで一息つくようなチルな空気感で。むむむ、拙者としたことがなんたる無作法。ちゃんと書いてあるではないか!わざわざ 「おひるやすみ」 とひらがなで。
なぜわざわざ 「お昼休み」 を 「おひるやすみ」 と表記されたのか。そこんところの嶋津さんの想いをわしとしたことが汲み取っておらぬではないか!
いや、嶋津氏はそんなことは微塵も感じてはおられぬだろう。そんな器の狭い御仁ではない。そう信じたい。そうに決まっておる。わしどこから武士出てきた?
接客業は奥深い。そしてややこしい。拗れている。いや、私個人的に。
でもまた見つけたら飛び込んじゃうもんね。「おひるやすみ対話」 とても楽しかったです。嶋津さん、聴いてくださった方々、ありがとうございました!
サービス精神って、難しいよね。
#エッセイ #対話 #サービス精神 #対話パーティ #コミュニケーション
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