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ちびうさちゃんのキラカード

我が家の小二男子が、ついにドラゴンボールと出会ってしまった。
並外れた怪力とか、最強の部族の血筋とか、超能力とか魔法とか、とんでもない猛者たちが集まる少年漫画界でも、最強と名高い孫悟空に出会ったしまったのだ。

きっかけは夫から譲り受けた漫画。
先日、夫の実家に行ったときに、まだ保管していたという年代物の漫画を引き取ったのだ。それを軽い気持ちで長男に渡したら、沼った。
彼にとってはほとんど初めての漫画であったこともあり「世の中にこんな面白いものがあったのか!」と衝撃を受けたようだ。

最近はドラゴンボールのカード収集まで始めた。
先日ついにキラカードをゲットして興奮していた長男を見ながら、私は遠い記憶に思いを馳せていた。ちょうど長男の同い年のときに起きた、ちょっとした事件。

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かつて日本中の女の子たちが沸いたセーラームーン。
少女たちはみんな美少女戦士になりたいと思っていたし、華やかなのに儚げで、色っぽさもある。神秘的な世界観は、大人になってからも素敵だなぁと思う。

保育園のときはよくセーラームーンごっこをした。なぜかみんな「セーラーヴィーナス」推し。だから、幼女たちによるヴィーナスの座をかけた仁義なき戦い(じゃんけん)が毎回行われるのだけど、それも楽しかった。

小学生になるとごっこ遊びからは卒業する。もうお姉さんだから。
代わりに月野うさぎちゃんのイラストを描いたり、セーラームーンのキラキラのモチーフアクセサリーを自慢し合ったり、そんな遊び方が多くなった。

中でも多かったのはセーラームーンカード収集。(やってることは今も昔も変わらないのね)
スーパーとか文房具屋さんとかに一枚何十円のカードが売られていて、母に連れ添って買い物などに行くとおねだりしていた。

当時は今みたいにつるつるのビニールのパッケージなんかに入っていなくて、1枚1枚紙の袋で覆われたカードを、100枚くらいまとまった束状のものがドンと店頭に置かれていることが多かった。
少女たちは中身の見えないそれを吟味し、
意味もなく透かせたりさすったりして、
いいカードが出ますようになんて神様へのお願いを大安売りして、
覚悟を決めてえいやっ!と引き抜くのだ。

推しの戦士のカードが出ると天にも昇る思いがしたし、敵キャラとかタキシード仮面だとガッカリしたなぁ。
特に心をときめかせたのはキラカードだった。

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誕生日に親戚のおばさんからセーラームーングッズをプレゼントされた。
ぬりえとか、鉛筆とか、パステルピンクなグッズたちの中にひときわ目を引く四角い小箱。それは大量のカードセットだった。50枚くらいはあろうその束を見るなり、私は歓喜した。

広げてみると、スーパーや文具屋さんで売っているものとは少し材質が異なる。きっとファンシーショップとかで買ったものなのだろう。その特別感も私をときめかせた。
束の一番上にあるのは大好きなキラカード。
こつこつ集めたコレクションの中にだって、たぶん数枚しかないキラカード。
しかも、大好きなちびうさちゃんのものだった。

ちびうさちゃんはアニメでも後半くらいから出てきたキャラで、主要戦士たちに比べてグッズの数も少なかった。
おませさんで、ちょっぴり生意気。だけど揺るぎない正義感と勇気の持ち主で、子どもながらにセーラー戦士に変身する。
高校生が大半を占めるちょっぴり大人なセーラー戦士に対し、同年代だったちびうさちゃんの登場は稲妻に打たれたかのような衝撃を受けた。
きっと多くの小学生女子たちに「私もセーラー戦士になれるかも」という希望を与えた存在である。
ちびうさちゃんのキラカードは私の宝物になった。

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ある日の放課後いつも通り同級生の子の家で遊ぶ約束をした。その日は初めて遊ぶヒトミちゃんちだった。
「ちびうさちゃんのキラカードを手に入れたの!」と学校でも言いふらしていた私は、ついにみんなに見せられると思い、その誘いを快諾した。

いざカード交換(というかコレクション自慢)の時間になり、みんないそいそと小さなバッグから自慢の品々を取り出した。
すると、トップバッターのヒトミちゃんが見せたのは、なんと私が持っていたカードと全く同じデザインのちびうさのキラカードだった。

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「え!私もおんなじの持ってる。」と言ったときには、すでに嫌な予感がしていた。
心臓がどくんどくん鳴るのを感じながら、冷たくなった指先で自分が持ってきたカードの束を広げた。ちびうさのカードだけが、どこにもなかった。

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「私のカードがない。ヒトミちゃんと同じデザインの、ちびうさのカード持ってきたのに。」

そううろたえる私を見て、一緒に遊びに来ていた友達も「ヒトミちゃん、そのカード、本当に自分の?間違えてない?」と聞いてくれた。
だけど、ヒトミちゃんはこれは自分のカードだと主張し、どこどこのスーパーで買ったものだ、と教えてくれた。

輪ゴムで閉じたカードケースの中からキラカードだけがなくなるなんておかしなことだと思う。
しかも、私がもらったカードコレクションはスーパーで取り扱っているものとは異なる種類のもので、ヒトミちゃんが買ったと主張した場所についてもあやしい。
それに、ヒトミちゃんは今この瞬間まで「ちびうさのカードを持ってる」と言ったことはなかったのだ。持っていたのなら、なぜ私が学校で話したときに「私も持っているよ」と言ってくれなかったのだろう。

いろいろな考えが頭をよぎったが、うまく伝えられなかった。

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何よりヒトミちゃんの堂々とした話しぶりは私の自信を削いだ。
そもそも、バレるかもしれないのにこんなことをするだろうか?自分のうちで?そんなことするはずない。私だったら怖くてできないもの。
そう自分を納得させた。

落ち込んで帰った私は母に事情を話し、ふたりで家の中を探したが、やはり見つからなかった。諦めきれず母に頼み込んでヒトミちゃんちに電話をしてもらったような記憶がある。

「今日はお邪魔させていただいて、ありがとうございます。
それでですね、実は娘がカードを忘れたかもしれないと言っていて…お手数ですが、そちらに混ざってないでしょうか?」

そんな風にやんわり聞いてもらった。けれど、返ってきたのはヒトミに聞いたけど特になかったそうです、という答えだった。

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時間が経てば経つほど、ヒトミちゃんにとられちゃったんだ、と思うようになった。
母に泣きついても「そんな大切なものなら、もう持ち出さないことにしなさい」という最もな答えであった。
そもそもカード1枚のために電話までしてくれた母は、自分が親になってみて思うとじゅうぶんすぎるくらい偉大だと思う。

ヒトミちゃんはその後すぐに引っ越してしまった。
引っ越し前、私は仲良くしてくれたお礼にとハンカチとクッキーをプレゼントした。

***

真相はわからない。
だけど、私は女々しくもあのときのざらついた気持ちを時折思い出すのだ。

ヒトミちゃんが盗んだことへの怒りではない。繰り返しになるが、真相はわからないのだから。
今まで”無い”と信じていたものが「あるのかもしれない」と思えてしまったことが恐ろしかったのだ。
悪意は誰の心の中からも生まれえる、という事実だ。

当時の私は幼く善良だった。
人をいじめたり、ごみをポイ捨てしたり、誰かのものを盗ったりすると、地獄に落ちてしまうと思っていた。死後、私だけ地獄に堕ちて家族に会えなかったらどうしよう、と布団の中で恐怖したこともある。
だから周囲も同じように悪いことをする自分を、恐れていると思っていた。
そりゃあちょっとくらい意地悪された、とかはあったよ。それは相手は遊びのつもりだった、という解釈の違いであって、明確な「悪いこと」とは違うと思っていた。

ニュースで見る暴力とか窃盗とか誘拐とか、恐ろしい事件を起こす悪人は、関わることのない遠い世界の話。そう信じていた。
私がヒトミちゃんを疑ったとき、世界の輪郭は作り替えられた気がした。

***

ちびうさちゃんのカードが消えた私の宝物箱には、そのあともいろんな物たちがやってきた。

ペンダントトップになる涙型のガラス玉(大人になったら素敵なチェーンを買って身に付けようと思っていた)、すべすべしたロウ石、ミッキーとミニーのついた小さなオルゴール、アンティークなクマのイラストがプリントされたはじめての日記帳。
きっと忘れてしまったものもたくさんある。

だけど一番はっきりと思い出せるのは、私を少し大人にしてくれたちびうさちゃんのキラカードだ。
そこに無いからこそ、より鮮烈な記憶として私の胸にしまわれている。

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