見出し画像

【エッセイチャレンジ④】心の中に侍を飼う。

定期的に思い出し、心の励みにしている人がいる。新卒で勤めた会社にいた、岸さん(仮名)という男性だ。

自分の親より年上のその人はなかなかの強面で、意志の強そうな一本眉と熊のような大きな四肢がそれに拍車をかけていた。「24時間働けますか!」のフレーズを地で行くような昔体質の会社でも、一目置かれる伝説の社員だった。


20年経っても記憶に残る営業マン

岸さんのことを初めて知ったのは入社して半年が経ち、営業として担当地区を持たされた頃だった。古参のお客さま数名から「昔、岸さんって方がいてねぇ。今もそちらにいるの?」と聞かれることがあった。上司に聞いてみると、確かに岸さんはその地区で営業をやっていたことがあった。しかし、それは20年も前のことなのだ。
当時の私が生まれてからそれまでの年月と同じくらい前に訪問していた、いち営業マン。比較的異動の早い会社だったから、そのエリアで活動していたのは5年足らずだろう。きっとそのお客さまはその後も何人もの営業を見送ってきたことと思う。それでも霞むことなく深く記憶に刻まれているこ、「可もなく不可もなく」な上辺ばかりの仕事しかできない新人の私には、途方もないことのように思えた。

岸さんとの初めて話したのはそれから2年ほどしてからだ。その頃私は不得手な営業の職を離れ、幹部付きの秘書課に異動になっていた。若手としては大抜擢の人事である。だが、秘書といえば聞こえは良いが、実際はお見送りやお出迎え、お茶出しがメインという、幹部の権力を示すためのお飾りのような仕事であった。
見栄えの良い部署に異動できてラッキーな気持ちと、自分だけズルをしてしまったような罪悪感に似た気持ち。誇れる自分ではないことに気付かぬふりをしながら、ぬるま湯に浸かっていた。今振り返っても心がざらつく。

噂の岸さんと対面


岸さんは幹部でこそなかったが、長いこと部長を務めていたこともあり、報告や決裁で度々役員を訪ねた。秘書課にもお見えになることが多く、以来会話を交わすようになる。

体育会系が正義の会社の、名物社員。さぞ強烈な方だろうと思っていた。しかし、実際は硬派で一本気といつ表現がしっくり来た。余計な愛想もないが、私のような若手社員にも丁寧で誠実。清廉とした空気をまとう彼に、私は心の中で『侍』とあだ名をつけた。背中に刀を刺しているような、まっすぐな背中であった。
しばらくして役職定年された岸さんだが、彼の数奇な会社員人生を知ったのはその後だ。

大半の会社には出世コースと呼ばれる人事がある。当時の会社でも同様で、そのひとつが「ある部署の部長となれば、次回人事で役員昇格」だ。そのコースに乗りながら、役員となれなかった社員は今まで一人だけ。それが岸さんだった。

岸さんの名誉のために言っておくと、彼は素晴らしい管理職だった。人望も厚く、忍耐強い。上に立つ人としての要素を兼ね備えている。誰もが役員として適任だと思ったはずだが、タイミングだけは岸さんの味方をしなかった。

人生でどうにもならないこと

役員候補として岸さんの名前が挙がるのと時を同じくして、大規模合併があった。10年もかけて会社が取り組んできた事業であり、会社が生き残るためには避けては通れない道だった。対等な合併であることを強調するため、両社の役員は誰も降格させず、その人数は過去最多となった。
つまり、人事的にもコスト的にも新任役員のための椅子を用意できる余裕はなかったのだ。

どうしようもないことというのは、誰にでもある。努力はいつも報われるとは限らない。岸さんにとっては30年を捧げてきた会社での最大のターニングポイントでそれが起きてしまった。
その話を教えてくれた先輩は「本当なら役員室の椅子に座っていられたのに、残念だよね。役職定年後も若手営業みたいな仕事やらされててさ・・・」と言った。

その話を聞いたとき、まず浮かんだ言葉は「気の毒に」。
自分が岸さんなら何て思うかな…とも思った。たぶん「なんで自分が」「尽くしてきたのに裏切られた」とかだろう。もしくは、傷付いたことを悟られたくなくて、あえて平静を装うかもしれない。でも、以前と同じ熱量で仕事に向き合うことはきっとない。熟しすぎたアボカドのように、外側はツルツルでも、中身はグズグズに腐っている。

岸さんが実際どう思ったのかは知らない。でも、私の知る限り彼はずっと誠実だった。いつも落ち着いていて、静かで、たまに照れたように笑う。若い営業に肩を並べ外を闊歩する日も、年下の役員に決裁をもらいに来る日も、礼儀正しく、いつも背筋は伸びていた。腐ってなんかない。
私はやっと、幹部たちが彼のことを「岸さん」と呼び、決して呼び捨てにしていないことに気付く。誰もが岸さんに敬意を払っていた。先輩や私が抱いた「残念」「気の毒」だなんて言葉はお門違いもいいところで、私は恥ずかしくなった。

私はその後、仕事をいくつか変えた。どの仕事でも理不尽なことのひとつやふたつは経験したが、そのたびに思い出すのは岸さんのこと。私に何の言葉も残さなかったはずなのに、ちっぽけな私の心には大きな背中が居座っている。

『岸さんだったら、きっとやり遂げる』

呪文のように唱え、歯を食いしばる。すると、大きな背中がこちらを振り返り、太い眉毛に力を入れたままニッと笑う気がする。今も昔も、侍は背中で語るのだ。

いいなと思ったら応援しよう!