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【読書メモ】コロンビア商人がみた維新後の日本

『コロンビア商人がみた維新後の日本』ニコラス・タンコ・アルメロ著、寺澤辰麿訳、中央公論新社、2019年

明治時代の日本を訪れたコロンビア商人の旅行記(原著:Recuerdos de mis últimos viajes; Japón、1888年)を邦訳した書籍。僕は、当時の日本をコロンビア商人がやってきていたという事実はまったく知らず、それだけで読んでみたいと手に取りました。コロンビア人が日本について書いた初めてのものだそうです。

著者は、ニコラス・タンコ・アルメロ(Nicolás Tanco Armero)。ボゴタ生まれの商人で、父は大蔵大臣。米国やフランスでも教育を受けた、いわゆるインテリ層です。苦力(クーリー)のブローカーのような仕事に携わっていました。訳者は、寺澤辰麿さん。在コロンビア日本国大使も務められました。

1871年、ニコラスは米国ニューヨークから鉄道でサンフランシスコへ、そして長い船旅を経て横浜に到着し、初めて日本を訪れました。それ以後、複数回訪日した体験をまとめたものが本書です。

さて、ニコラスは当時の他の多くのコロンビア人と同じくカトリック教徒です。なので、神道や仏教には手厳しく、本の中でも散々な言われようです。また、当時の多くのヨーロッパ人の考え方を踏襲するように、日本に対する野蛮・粗野・未開・無知などといった印象も垣間見えます。こういった記述を批判するのは簡単なのですが、当時の考え方の規範の中でニコラスは生きていたことを考慮しておく必要があります。

日本について散々に言われていても、これがスペイン語で書かれていたので、おそらく当時の日本人の目に触れることはなかっただろうし、見ても理解はできなかったでしょう。書かれていることに当時の日本人は反論できません。

翻って、現代を見れば、インターネット上では、他所の国のことについて、あれやこれやと良いことも悪いことも、あることないこと言及されています。でも、日本語が読めない他所の国の人は、言及される対象となっていても反論できません。確かに翻訳ツールは進化してますが、まずは、その言及に日本語で辿り着く必要がありますし、わざわざ辿り着こうとも思わないでしょう。こうした他者についての一方的な記述は、人類学の分野でもずいぶん前に反省材料となったわけですが、ここでは話を戻します。

ニコラスは、日本人の性質として、約束を守らず実直さに欠けると記しています。これを読んでおもしろいなと思ったのは、こうしたステレオタイプは、逆に、今のラテンアメリカの人びとに向けられたりしている、ということです。今では、日本人は勤勉で規律を厳格に守るというイメージで塗り固められ、他方、ラテンアメリカの人びとは「ラテン系」という言葉で表象されるように、陽気だけどイイ加減みたいなイメージが持たれてるように感じます。取り立てて言う必要もないくらい当たり前なことですが、どちらもステレオタイプで人によりけりです。

当たり前となっている自分の文化を、外からの目で眺めたらどう見えるのか、という視点から読んでもおもしろいです。例えば、ニコラスは、仏教徒は死後に「戒名」が与えられることに触れ、それを「死出の旅のパスポート」と表現しています。なんか素敵。

他にも、日本の漆器などの手工業について、ニコラスはもっと資本を投入したり、組織化したりして、合理化した方が良いといった指摘もしています。なんだか、今でいうビジネスコンサルタントみたいな物言いだな、とニヤニヤしました。今でも、時々(結構?)こういうある意味で余計なお世話なアドバイスをドヤ顔で言ってくる人とかいますよね。

今から150年くらい前のコロンビア人と日本人が関わり合う、その有様が興味深く描かれています。ニコラスは、言葉が通じず孤独を感じたり、早く帰りたいとホームシックになったり。150年前の出来事だけど、なんか現代にも通じるところも感じてしまいます。

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