自分で自分を幸せに出来ない、自分の人生を自分で創っていくことを楽しめない、人は、そんな時に「親への恨み」を必要とすることがある。
自分の人生を自分の責任で生きていくには、勇気が必要です。自分が自分の親になり、心の管理者となり、自分の責任で生きていく覚悟も必要です。
しかし、自分で自分を幸せに出来ない、自分の人生を自分で創っていくことを楽しめない、勇気を持てない…、、、人は、そんな時に「親への恨み」を必要とする場合があるのです。
「親への恨み」、これも「無意識にある隠された目的」に沿って、無意識のうちに自分で創り出しているものです。
「親への恨みはでっち上げ」の第5章「家族を大切にする心」の中で、次のようにお伝えしました。
今が幸せで満たされていたら、親への恨みの感情を持っていないはずです。今自分が、満たされていないから、幸せではないから、その理由として、親から受けた過去の仕打ちによって、自分は不幸になっていると思っている部分があるから、親を恨むのです。(親への恨みはでっち上げより)
最大の復讐は「幸せになること」なのです。
例えば、子供時代、親から虐待を受けていた人がいました。父親から殴られたり、金属バットで引っ叩かれることもよくあり、母親はからは心理的な虐待。耐えきれない環境で、16歳で家を飛び出した彼は、帰る場所も無く、必死になって努力をして自分で幸せを創りました。親を恨んだ時期もあったとのことですが、幸せを自分で創ったことで、区別をした上で親に対して感謝の気持ちを持てるようになったとのことです(虐待は許してはいけない。酷いことをされたことなどを区別して)。つまり、権威に支配されない自分になり、幸せを創ったということ。これは簡単なことではありません。長い時間をかけて、人は親への恨みを克服していくのです。
このように、自分で創るというのはとても難しいことです。そしてこの難しいことが出来るようになるまで、人は、親への恨みを必要とする場合があるのです。自分が創る側になり、自分で自分を満たせるようになると、心の管理者となり、責任者ですから、支配されにくい自分になれます。過去に支配された権威(親)から、再び支配されることもあります。だから、過去に親から酷いことをされてきたとしても、それが今の自分を支配しないのです。つまり、過去を過去として手放して終わらせることが出来るのです。
自分で創らず、勇気を持てないうちは、親への恨みを必要として、乗り越えた人たちを軽く見てしまう人もいますけど、そこを乗り越えていくことが、とても大切なことです。時間(命)は有限です。最期まで親への恨みを抱えて生きるよりも、自分を支配した権威を超えて、自分を救い、自分で自分を幸せにしていくほうが良いと、僕は思います。
恨みつらみも大切な素直な感情です。その感情を終わらせて、次に進み出す勇気を持って、自分の力で自分を救ってあげましょう。与えて欲しい、してほしい、やってほしい、解決してほしい、戦ってほしい、褒めてほしい、、、、親にしてもらいたいこと、それを自分が自分にすること。それが大事なことです。期待して待っている時間は勿体無いです。毒親によって自分のことをダメにされたのなら、自分が自分を良くしていけば良いのです。
13歳で勉強を放棄し、薬物中毒となり、無責任の極みとして生きた僕は、心理学三代巨頭の1人アドラーが言う、「永遠の赤ん坊」でした。自分で自分を育てることをせず、代わりに親に対し、「お前たちがダメにしたんだから、お前たちが直せよ」と思った過去もあります。そう思ってしまい時期があること、それも人間ですが、そのままでは良くなることはないのです。自分でやる。自分が自分のためにやる。これは「必要」なのです。そして、僕は13歳でやめた読み書きを31歳で再開し、それから数年間の努力で、かなり心に良い変化が起こりました。
読み書き、そして音読。これは人間らしさを司る脳の前頭前野を活性化してくれます。「音読 前頭前野 血流量 - Google 検索」で画像を見て下さい。読み書き、そして音読、これは自分の親になるための必須作業だなと、僕は思っています。サヨナラ・モンスターの取り組みで、少しずつ良い変化が起こり、「人間的に成長出来たと実感しました!」という人もいます。脳を活性化させながら、新しきを知る。これが大切なことです。