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2020年、8月12日、忘れられない言葉
「やまざきさんが、怖いと思う時があるのよ」
2020年、8月12日。
14時32分、東京、渋谷。
「クールな時の、君の込めているものというか。肉で言うと、すごいジューシーなわけ。だけど、このステーキすげえ、みたいな。狂気に似たような、すごさをね、感じる時があるんだよね」
8月の暑さはとても厳しくて、渋谷のあの人混みをかき分けて入った本屋が併設されたカフェで、15歳という歳の差の先輩から言われたその言葉を、僕は4年経っても忘れずに大切にしている。とても響いたし、とても嬉しかったから。
あの当時の僕は、編集者だった。
明確な、編集者という仕事が目の前にあって。
著者は、僕が「この人」と決めた大好きな人だったし
デザイナーは、信じられないくらい名の通った有名な人だった。
あの当時の僕は、紛れもない編集者だった。
まだ一冊も編集者としての本を世に出していなかったのに
僕が抱えていた本はとても輝いていたし
自分だけで編集なんてできないと何度も諦めていたし
苦しかった瞬間に助けてくれる先輩編集者なんて誰もいなかった。
あの当時の僕は、一体何を思っていたんだろう。
正直、思い出せない。
それほどに集中していて、無我夢中で毎日を過ごして
ただただ、「いい本を創りたい」という "想い" だけ、手に持っていた。
それしか、僕には握りしめることのできるものが、なかったから。
15歳ほど歳の離れた、人生の大先輩である同僚であり友人でもある先輩に、僕は「君が怖いと思う時がある」と言われた。
ああ、そんなに僕の顔、引きつっていたのかなと思った。
けれど、そんなことはなくて。
ただ、どうしようもなく溢れ出ていた本を編集することに対する「狂気」とも言える圧倒的な熱量が、そういう自分の普段の印象とはかけ離れた表情を創っていたんだなと、今ならそう、わかる。
茹だるような真夏のあの日。
僕は先輩から「怖い」と言われて、笑っていたんだ。
そして、僕は、実質初めてと言っていい「本を編む」ことに、人生を、命を懸けていた。本当に、冗談抜きで、命懸けの日々だった。
後に、紆余曲折あったけど、最後まで諦めることなく進んだ僕は、ちゃんと「本を編む」ことができて、それはカタチになって、世に出た。
僕はずっと、あの時のことを振り返ると、不安になる。
なぜかって、4年経った今も、自分の手のひらに「実感」が無いから。
自分が編んだ本が世に出て、色々な人の手に届いて、何かを受け取ってもらったという実感が無いまま、僕は出版社を辞めたから。
著者と約束した打ち上げをすることもできなかったし、もっとたくさん宣伝することもできなかった。
だから、その当時の、初めての商業出版の編集物語を、僕の本として、編むのはどうだろうかと、ずっと思っていた。
他人の評価は、別として、僕自身のためになるんじゃないか。
何かずっと、消化不良になってしまったあの本づくりの物語をちゃんと書き残して、かつ、本にしてしまえば、それはきっと僕の "大切" になるんじゃないか。
ずっと考えては、蓋をして。
蓋をあけて考えては、また蓋をして。
繰り返してきたけれど、そのタイミングが
もしも "今" なのだとしたら、書いてみたい気持ち、少しは、ある。
ちゃんと想いを書いて、本にして、当時の著者にも渡したい。
「怖い」とまで言われた僕の本への愛情。
「狂気」とまで言われた僕の本への偏愛。
あの自分が、まだいるのだとしたら、僕はまた逢いたい。
忘れてないよ、君のこと。
忘れないでよ、僕のこと。
茹だるようなあの夏の日
僕は確かに、編集者だった。
あの日の自分と再会するための物語を。
どうか、どうか書けますように。