noteを始めた理由

昔から、ネガティブな感情のほとんどを飲み込んでしまう。そのせいでストレスが溜まりに溜まって、キャパオーバーでパンクしてしまったことがあった。

そこから日記をつけるようになって、私の心はだいぶ穏やかになった。今でもあれこれぐるぐる忙しく考えてしまうが、今とは比べ物にならないくらい、かつての私の心は忙しく、不安定で、不自由だった。息苦しかった。孤独だった。

ある人に自由な感情を奪われたところからスタートした私の人生。周りに溶け込もうと必死で、それが限界を迎え、先に進めなくなった。他人の気持ちを優先し続けると、自分の本当の感情が分からなくなる。自分は今何を思って、どうしたいのか。以前の私は、常に周りの目を気にしていた。誰かのために生きているような感覚だった。楽しくなかった。人生のあらゆる工程を通過儀礼のように感じていた。各工程の合格点を目指していた。勉強も、部活も、友人関係も、恋愛も。「一般的なことは一通り経験しておこう」。それが私の生き方のベースだった。

「これからは、誰のためでもない自分自身の人生を歩んで」
そう言ってくれる人が現れてから、少しずつ、私の人生は自分軸にシフトしてきた。以前より遥かに楽しい。自由だ。

日記をつけると自分の感情が整理される。(理不尽なことを言われた時に)瞬時に言い返したり、辛い時に即「辛い」と口に出すことは難しいけれど、時間差でも自分の感情を主張できるように、少しずつなってきた。

私が普段つけている日記は、とてもじゃないけど人に見せられるようなものではない。そもそも、人に伝えられなくて苦しい感情を消化するために書いてるんだから、当然のことか(以前は、日記さえも誰かに見られている気がして素直に書けなかった)。
私の感情をそのまま世に発信することは今の私にはできないけれど、抽象的な形で発信することならできる気がした。私の孤独な感情を、noteに記録してみようと思った。

起こったことや感情をそのまま具体的に書いているわけじゃないし、誰かに読まれている実感もないけど、自分しか見れない日記に書くよりは孤独じゃない。

いつの日か、嬉しいことや楽しいことや成功したことだけでなく、悲しいことや苦しいことや失敗したことも、思うままに誰かに言えるようになると良いな。

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