皆それぞれ、悩みを抱えて生きている。 負の感情を他人にぶつけて、何になろうか。 芸術、スポーツ、趣味、娯楽。 もっとポジティブなエネルギーに変えていきたい。少なくとも私は。
素晴らしいドラマや。当時は苦しくて、このドラマの素晴らしさを味わう余裕が無かった。 味わえる今、幸せ。噛み締めて、泣けてきた。
上手く行かず落ち込んでいる人に対して、"自分がいかにして今の地位を手に入れたか"を自慢してくる人がいる。 人を傷つけてまで自慢してその人が得たいものはなんなのだろうか。 そんな人のマウントに影響される必要ないのは分かっているが、毎度傷ついてしまう。 そもそも、心が傷つかないようにコントロールすることなんてできない。 人を傷つけておいて「そんなに深く考えなくていいよ。気にしなくていいよ。」ってそんな都合のいい話があるだろうか。 人を傷つけながら、平気で笑って、自己中心
今日は気分が沈んでいたので、気分転換にビーズでネックレスを作ることにした。 ビーズを全てテグスに通し、あとは金具つけたら完成という時に手が滑り、テグスに通っていた全ビーズを床にぶちまけた。 ショックでしばらく放心状態。 あちこちに転がってったビーズ拾うの困難極まりなかったけど、拾うついでに普段掃除機かけ忘れがちなところまで掃除できたので良しとしようか。いや、できない。疲労感半端なかった。 その後素敵なエンタメに出会って気分が急上昇した。心底感動した。感銘を受けた。
好きを仕事にするのって難しい。 好きなことを仕事にすると、 それでお金を生み出さなきゃいけないし、 いろんなルールも付いてくる。 好きなことの自由度が低くなっても、 私はそれを好きでいられるだろうか。 自由度が低くなってしまった時点で、 それは好きなこととは別物な気がする。 それならいっそ、 そこそこ興味があって、 そこそこやりがいがあって、 自分に向いてる仕事を選ぶ方が 気楽でいいんだろうか。 すごく好きなことは、 趣味に留めておくのが いちばん幸せなのかもしれな
いつだって隣の芝生は青いもの。 「自分なんて」と卑屈にならずに、 目一杯(自分のことを)可愛がってあげたい。 周りが私を信じていなくても、 自分で自分を信じてあげよう。 自分を、ずっと大事にしてあげたい。 心からそう思います。
ものすごく疲れた時、 ものすごく傷ついた時、 ものすごく落ち込んだ時、 ものすごく悲しくて、 もうなんにもやる気が起きない時は、 ①(水分摂りつつ)たくさん寝る。 ②美味しいものを好きなだけ食べる。 ③お風呂で全て洗い流す。 (湯船に浸かってしっかり温まる♨️) この3つに限ると思う。 身も心も弱っている時、 無理せず丁寧にケアしてあげれば、 徐々に復活して、 また何かやってみようと思える。 自分とは一生の付き合いだから、 ず〜っと大事にしてあげたい。
新しいことを始めようとする時、頭ごなしに否定する人がいる。 そういう人は大抵、否定に根拠が無い。 否定する理由は、 「新しくてよくわからないから」。 そんな人の意見に影響されるなというが、勇気を出して、新しい場所へ一歩踏み出そうとした矢先に、その入り口を壊されて、それでも先に進めというのは酷な話だ。 しかし、そういう人は、肯定するときも根拠が無い。そんな感情任せの意見に何の意味があろうか。肯定されようが否定されようが、私にとっては価値のない意見と捉えよう。 私は、どん
何事も、最初は難しい。 最初、が、難しい。 一度できればこっちのもん。先へ進める。 一つ、二つ、徐々に世界が広がっていく。 最近ビーズアクセサリーのハンドメイドにハマっている。初めての作業ばかりだけれど、一つ技法を覚えると作品の幅が広がるので、面白い。 大人になってから新しいことに挑戦するのは、 怖い。とても怖い。 でも、 大人になってから新しいことを身につけるのって、かなり楽しい。 いくつになっても、いろんな失敗を経験しても、最初の一歩を恐れずに、いろんな世界に踏
ある人に、 「そんなに深く考えたら疲れちゃうよ。もっと気楽に考えたらいいよ。」と言われた。 私は静かに傷ついた。精一杯、じっくり時間をかけて積み重ねてきた地道な努力を否定されたようで、深く傷ついた。 強行突破、その場凌ぎ、自己中心で生きる人に私の気持ちはわからないだろうな。 私は今、雑音に埋もれてしまった、自分の心の声を聴いている。それは簡単なことではなく、かなり時間を要する繊細な作業。一瞬で踏み躙らないで。
新しい場所へ出かけると、刺激を受ける。視野が広がる。世界観が変わる。 懐かしい場所へ行くと、眠っていた記憶が思い出され、これまで自分が積み重ねてきたものを実感する。 出かければ、きっと何かしらの収穫がある。 とにかく、出かけよう。 私の尊敬する人 「行動したけによ。幸せは向こうから歩いてきてはくれん。行動したけに出会えたんよ。」
辛い経験の後に趣味が生まれるというより、辛い時期を趣味で乗り越えるのが向いてるのかも。 いろんなメディアからヒントを得て、オリジナルの趣味に没頭するというやり方が、きっと私に合っている。 繊細さんの本も、白川さんの本も、今までに無いくらい私に合っている。 インプットしたら、アート的な分野でアウトプットするのが向いている。頭の中で考えていることをアート的な方法(ハンドメイドのビーズアクセ、絵付きのメモなど)で形に残せた日は、いつもより気持ちがスッキリしている。
偉そうな人が本当に偉いとは限らない。 謙遜している人が本当に未熟とは限らない。 自分を過大評価し、それに気づかず、むしろ自分を謙虚な人間だと信じ切っている人間ほど愚かなものはない。
あの人は私に負の感情を与える。あの人と関わると、モヤモヤが、キズツキが襲ってくる。 あの人からの情報はさほど貴重なものでは無いと思う。情報というより、偏見だ。あまりこの件をあの人には相談しないでいこう。
相手の失言のフォローをする必要は無い。 相手が私を傷つけた後の空気の浄化まで担当することない。 相手が反省するのみ。 すでに傷ついているのに、傷付いてないふりをすることでさらに傷つくのはやめよう。自分の心を第一に考えてあげよう。自分の心を、守ってあげよう。
昔から、ネガティブな感情のほとんどを飲み込んでしまう。そのせいでストレスが溜まりに溜まって、キャパオーバーでパンクしてしまったことがあった。 そこから日記をつけるようになって、私の心はだいぶ穏やかになった。今でもあれこれぐるぐる忙しく考えてしまうが、今とは比べ物にならないくらい、かつての私の心は忙しく、不安定で、不自由だった。息苦しかった。孤独だった。 ある人に自由な感情を奪われたところからスタートした私の人生。周りに溶け込もうと必死で、それが限界を迎え、先に進めなくなっ