過去を客観的に評価して検証する
過去を振り返ってばかりでは進歩がないのかもしれませんが、変化の激しい時期には、時に立ち止まって振り返ることの必要性を痛感しています。今年は熊本市が政令指定都市に移行してから10年、『こうのとりのゆりかご』が設置されてから15年と節目を迎え、それぞれの歩んできた道を振り返っているところです。
ゆりかごに関しては、『内密出産制度』という新たな取り組みが始まっているだけに、ゆりかごから続く文脈で捉えていかないと、問題の本質を見誤るのではないかと考えています。
また、政令指定都市に関しては、この10年間で熊本地震や新型コロナウイルス感染症などの新たな課題が生じました。そもそも、市町村合併や新たな政令指定都市の誕生が、人口減少や都市部への集中を想定した仕組みであるとするならば、その前提は変わりつつあります。環境の変化に対応するためにも、過去を客観的に評価し、検証することは大事ななことだと思っています。
話はガラッと代わりますが、かなり前に『過ぎてしまえば』という歌が流行ったのはご存知でしょうか?『森田公一とトップギャラン』の代表的なヒット曲は『青春時代』、その翌年の1977年にリリースされヒットした曲です。繰り返される「過ぎてしまえばみな美しい」の意味が、当時、小学生だった私にはピンときていませんでした。
ところが今では、「人は自分の過去を美化したがる生き物だ」と感じるようになりました。「自分の若い頃は〇〇だった」と、自慢気に話す人をよく見かけます。都合の悪いことは、意図的に隠そうとまではしなくても、「忘れてしまいたい」との意識がそうさせてしまうのかもしれません。誰もが持つ、自らの負の側面に正面から向き合うことは、とても苦しいことです。なので「美しかった」「昔はよかった」と言い聞かせることで、心の平穏を維持していることだってあるのでしょう。ときには、過去の自分を断ち切り、解放させてあげることも必要なようです。
ただ、先ほど挙げた政令指定都市やゆりかごは、自身のことではなく、現在も人々や地域社会に影響を与え続けていること。苦しいなんて言っていられません。だからこそ決して過去を美化してしまってはいけないと自らに言い聞かせています。浮き彫りになった課題を今後にどう生かすのか。単に振り返るだけでなく、住民の生活を守り、地域に活力を与えることのできる政令指定都市として、妊娠や出産に関する悩みを抱える女性にとってのよりどころとなり、ゆりかごに預けられた子どもの人生に対しても、しっかりと責任を果たしていかなければならないと思っています。