人間の復活とは
『生き直す 免田栄という軌跡』を読み終えました。免田さんが書き遺した手紙や書類の中に込められた言葉から、『生き直すとは人として生きること』との、免田さんの肉声が聞こえてくるかのようでした。
この本を読んで私がもっとも認識不足を痛感したのは、免田さんは無罪が確定した後も「再審無罪判決に再審を申し立てていた」という事実。しかも、弁護士を立てないいわゆる本人訴訟という形で。無罪判決を受けた後も、失ったものを取り戻すための闘いは、社会の偏見や差別との闘いだけでなく、このような形でも続いていたのです。
「何のための闘いだったのか」
「何を取り戻そうとしたのか」
この本の中で、それは『人間の復活』と表現されています。
再審無罪判決に対して再審を申し立てたポイントは3つ
・一審の死刑の確定判決が解消されていない
・再審無罪判決で身柄の拘束が解消されない
・保険料を納付してこなかったことを理由に年金が支給されない
結果的にこの申し立ては、必要書類が揃っていない形式上の不備と、無罪になったものは再審請求の資格がないとの理由で棄却されることになります。また、いずれも法的な解釈としては問題なしとされました。
ただ、免田さんの訴えは、死刑囚が再審無罪になることを想定していない法律の不備をついたものであり、年金制度に至っては、制度導入時には獄中にあり、制度についての説明を受けてもいないにも関わらず受給資格がないとされた理不尽さを訴えたものです。その後に免田さんの訴えが通り、2013年に特例法が整備され、年金については受給資格が得られるようになりました。
これらの訴えは、あえて言及する必要もないかと思いますが、お金のためではなく、人としての復活を成し遂げようとしたものであり、司法制度や社会の矛盾を正そうとしたものです。一旦死刑判決を受けたものは、たとえ冤罪が認められたとしても、すぐに人間の復活がなされるものではない、そんな重い課題を私たちに教えてくれました。最後まで、免田さんは社会の偏見や差別と闘いつつ、国家権力そのものとも闘い続けてこられました。
私が偶然に出会ったときに受けた、面白く気さくな印象の免田さんとはかけ離れた、免田さんの実像にこの本を通して少しは近づくことができたのかもしれません。免田さんはどこまで人間の復活を成し遂げることができたのか、直接尋ねることはかなわないので、この本を何度か読み返しながら考えてみることにします。出版のきっかけとなった免田さんから託された膨大な資料は、同じような苦しみを味わう人が出ないようにとの願いが込められています。その願いを受け止めた人たちがまとめた一冊、皆さんもいかがでしょう。
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