【批判精神】44 杉本通信~研究者に必要な要素~
こんにちは
皆さまこんにちは!ナカモリです。
早いもので、もう9月ですね。杉本監修の展覧会「東北の画人たちⅠ~秋田・山形・福島編~」も、8月31日をもって無事終了いたしました。
たくさんの皆さまのご来場、誠にありがとうございました!!
今回の話題
さて、今回は、美術史の研究者に必要な素養について考えます。杉本は、美術史研究において必要なものとして、次の3つを挙げています。
1つ目の『「もの」が好きであるということ』。これは「もの」(美術作品)をきっかけとして歴史研究をする私たちにとっては一番基本であり、しかも一番重要なポイントでしょう。
そして2つ目の『(対象とする作品を)研究の俎上に乗せうるだけの思考的忍耐力と、「もの」へのアプローチ、つまり切り口や視点にセンスがあること』。
こちらは美術史に限らず全ての研究活動に必要な力だと思います。大学生になり論文に触れるようになって、今まで誰も考えてこなかった方向から対象にアプローチして、その新たな考えが正しいと言えるだけの根拠を揃えて提示するには、思考や(自然科学の分野で言えば)実験を相当に重ねる必要があるのだと気がつきました。
杉本は「思考的忍耐力」と表現していますが、私は、研究には脳の持久力、もっと言えば思考の持久戦に耐えうるだけの脳の「体力」が不可欠なように思います。
(ちなみに、大学の先生は全員、バイタリティーに溢れているなと感じます。思考的忍耐力だけでなく、文字通りの「体力」も大事な要素のように思えて、体力のない自分は果たして卒論を乗り越えられるのかと不安を覚えます……)
最後に、3つ目の「批判精神を持っていること」について。杉本はこれまでも、美術作品の「真贋」の問題をたびたび取り上げてきました。「批判精神」を研究者に必要な要素として挙げている理由は、作品の良し悪しが研究者の権威と結びついているために、批判をして人間関係が崩れることを恐れ、作品の真贋への正しい判断が行われない現状を問題視しているからです。
「葛藤」「覚悟」という言葉が印象的ですが、そこまで気負わなければならないのか、と疑問にも思います。というのは、研究活動、すなわち真理を追究する過程で、他人の意見を批判する段階があるのは当たり前だと考えるからです。
例えば美術史では、かつて正しいとされていたことが、昔は出来なかった科学的な分析や、詳細な調査によって覆される場合があります。この場合、昔の考え方は結果的に間違っていたことになります。
しかし、当時持てる技術を駆使して発見された結果が間違っていたということ自体は、必ずしも悪ではないでしょう。一方で、過去の間違いに気づいたけれども、それに対する批判をためらってしまうことがあったなら、それは真理の追究を阻害することになります。こう考えると、研究の進歩においては、後者の方がよっぽど問題です。
研究の中での「批判」は、あくまで相手の「考え」や「行動」に向けられているのであり、研究者の人格自体を否定するものではありません。だから、人間関係を保つことと研究への批判は両立するはずだと思います。年齢やポジションに関係なく、反対意見や批判を口にできる環境こそ、健全な研究環境だと言えるのではないしょうか。
ありがとうございました
今回は、美術史の研究者に必要な要素と、それに関連して、より良い研究業界の在り方についても考えました。
研究への批判と良好な人間関係は両立するはずだ、などと偉そうなことを書きましたが、私自身、批判的な意見を言うときにはどうしても相手の顔色を窺ってしまいます。とはいえ、建設的な議論には批判はつきものだと思うので、大学生の今の内に訓練を積んでおくべきだと考えています。
それでは、今回はここまで。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
【参考】
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